人生ってなんだろう(11)

ルドルフ 六古窯を知る

いつからか大正、昭和にかけて勢いを見せた“民藝運動”に興味を持ち、柳宗悦氏や河井寛次郎諸氏の足跡を追うようになりました。京都にある河井寛次郎記念館や目黒にある日本民藝館などに足を運び、民藝の方々の業績に触れ、浅学な己に恥じ入っておりました。そもそも陶磁器に関する知識もなく、この文化芸術の活動の一端を知ることすら、大変困難なことであった次第です。まずは陶器のそもそもを知らねば話にならぬなと、日本六古窯の習得から始めることになりました。

日本六古窯は、昭和23年ころ、当時の古陶磁研究者であった小山富士夫氏がまとめた日本古来より伝わる代表的な窯の総称となります。後年小山富士夫氏も作陶にあたられることになりますが、昭和35年に文部技官・文化財専門審議会委員在任時に起こった「永仁の壺」事件による辞任劇がその背景にあったのかもしれません。また、長男の小山岑一氏も昭和平成にかけて陶芸家としてご活躍されました。「永仁の壺」事件については未だ解明されない点も多く、また折をみて。

日本六古窯は、古墳などから出土する須恵器や土師器をルーツに、甕(かめ)、壺(つぼ)、擂鉢(すりばち)などを平安時代末期より、焼き始めたものが日本六古窯となります。瀬戸焼を除く常滑焼、越前焼、信楽焼、丹波焼、備前焼は、釉薬(ゆうやく)を用いずに焼く簡素なものであります。 瀬戸焼のみ施釉陶器(せゆうとうき)で、高級な焼き物とされ、鎌倉時代初頭に宋などの陶磁器を写して生産したといわれます。

上記から、焼き物には自然に窯の内で、灰を被ってできた「自然釉」と、灰などを水でといて刷毛で塗ることによってできた「施釉」の二種類があることがわかります。例えば、有田焼の柞灰釉(いすばいゆう)は、調べますと、「マンサク科の常緑樹「柞の木」の皮でつくった木灰」と書かれています。この釉薬の作成は、長い年月を経た職人の英知の結晶といえます。

瀬戸焼、常滑焼、越前焼、信楽焼、丹波焼、備前焼、この六古窯の名前は、ただ覚えるしかありませんね。

このほかには、唐物とされる磁器や絵付けを中心とする、①伊万里焼・有田焼・鍋島焼、②九谷焼、③京焼・清水焼、④薩摩焼。また沖縄の琉球焼もありますが、確か前述の小山富士夫氏が復興に尽力されたかと思います。また、民藝の薫陶を受けた琉球壺焼からは、金城次郎氏など名陶を排出されています。

ここまで駆け足で述べさせていただきましたが、窯や作陶家を個別に列挙すると、これは奥が深すぎて、軽々に語れるものでは無さそうです。

ただ、個人的に一番面白い時代は、やはり大正、昭和の前半あたりでしょうか、民藝の動きや北大路魯山人などの文化の探求が始まり、幾人もの名陶が世に現れます。まだまだ勉強せねばいけませんね。とりあえず日本六古窯につき、今後の展開のベースとしてお話させていただきました。


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