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15.魂無くして技術の伝承無し

15.魂無くして技術の伝承無し
本来ならば、体内のどこで、どのような化学反応が起きて、電子のやりとりが行われているのかを示すのが丁寧な解説である。しかしそんなモノはネットに溢れている。そして出来る事なら図書館や本屋さんまで立ち読みに行くか、購入して調べてみて欲しい。

不親切だ。面倒だ。非効率的だ。時間が勿体ない、と思うかも知れない。しかし無駄だと思う時間と空間の中に、無意識の発見や急に舞い降りてくる閃きがあり、自分が意識して調べようとはしなかった世界が広がっている。その楽しさを知らない限り、凡人の域を脱する事はない。

本当に意味がある優しさとは、ある種の厳しさである。読んでいる人をその瞬間満足させるのは優しさではなく単なる甘やかしだ。分かりやすい。読みやすい。果たしてそれは良い事なのだろうか? マーケティングの結果、そういう本が大多数なのは確かだ。哲学や理念を薄めてでも広げたい人、売りたい人はそうすれば良い。筋肉神社は浅く広く知ってもらうような信仰ではない。教えは僅か。後は自分で調べ、感じ、気付き、深く考える『道』を歩んでもらう。

「解説が不親切だ」と、ネガティブに捉えてそれ以上調べない人と、1つ分からない事があったら、いちいち自分が納得するまでそれを調べる人。その調べている最中にまた違う興味関心ごとがあり、それについても調べる人。その偶然出会った疑問と検索が枝葉のように分岐していき、結果として膨大な知識を得て、自分の成長に繋げる人。毎回その違いが出るのだから、5年後10年後の到達地点に雲泥の差が出るのは言うまでもない。

教えられたことしか出来ない人間が神の領域に達することは無い。教えられたこと以外で、自分が何に気付き、何を学び、必要な事をモノに出来るのか? そんな人間は稀であり、人によってその道のりは様々だから、神の領域に達する人は、色んな施術の分野からランダムに、突発的に誕生する訳である。

「この本を読んだら全員がゴッドハンドに!」「この資格を取れば全員の施術に奇跡が!」というモノは存在しない理由である。つまり教わるのは最初だけ。その道に一歩踏み入れてからは、自ら欲し、探求したモノだけが、ふと気が付いた時、神の領域に到達している事になる。神の施術に必要な資質とは、それらを楽しめる魂の有無である。魂無くして技術の伝承は無い。

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