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最後に

最後に
筋肉はきっかけに過ぎない。自分に興味を持つ。健康に興味を持つ。そのきっかけの先にあるモノを各々が見つける。見つかるモノは人それぞれ。興味も疑問も人それぞれ。解き方も正解も人それぞれ。勝ち負けは無いし、優劣もない。早さも正確さも規模も、人と比べるモノではない。その競う事や評価される事を目的としない、穏やかな流れの繰り返しの中に、自分の奥深い所から湧き出てくる小さな喜びや気付きや発見や共感がある。それがあなたの本質であり資質である。

お金とか経歴とか資格とかファッションなどは不純物である。そういうあなたの肩書や手にしているモノや身に付けているモノを全部剥ぎ取って行った時、あなたの本質が剥き出しになる。あなたはそこに居ますか?

筋肉神社はその本質を見つけ直すきっかけに過ぎない。
神は既に宿っている。祈るのではない。本質を見つめよ。

板垣恵介著 バキ 27巻 2005年8月 出版社:秋田書店
『筋肉神社』と聞いて多くの人がイメージするであろう御神体と言えば範馬勇次郎。
「脱力だの…シャオリーだの…そんなものはおまえたちで共有したらいい(中略)弱者同士で工夫したらいい…極意だの…奥義だの秘伝だの秘技だのウエイトだのスタミナだの…と。それらの創意工夫は、闘争を物質に例えるなら不純物だ」

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