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九州夏旅 2019 ②

【ロフトの夢と熊本城】


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午前中の不思議な祭りの後はバスで串木野駅まで出た。駅がある場所は『いちき串木野市(いちきくしきのし)』で、滑舌が悪いと噛んでしまう。


さらに川内駅で、地元の蜂蜜を購入してから新幹線に乗り換える。いつも鹿児島〜熊本間ばかりなので『さくら』だが、本当は『つばめ』に乗りたい九州は在来線電車もデザインがユニークなので乗っていて楽しい。

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新幹線が動きだすと、あの印象的なCMが頭に流れる。『祝!九州』のCMは開業前日に起きた東日本大震災を考慮し、短い期間しか流れなかったが、沿線で手を振る人々の笑顔の映像と音楽の印象は強く後々まで話題になった。


水戸芸術館 現代美術ギャラリーの『水戸岡鋭治の鉄道デザイン展』でロングバージョンを見たが、じーんと胸に迫るものがあった。CMの鼻歌を唄いながら熊本へ向かう。


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くまモンの本場、熊本駅に着くと友人が車で待っていてくれた。久しぶりのすけ。普段から友達がいないので友人とお茶というのは何年かに一度のイベント。で、前から行ってみたかった長崎次郎書店と2Fの喫茶室へ。大正時代の建物で景観は良いが喫茶はメニューがとても分かりづらく作り直したい気持ちに駆られる。

熊本在住の友人は地震の被害で、3年経ってようやく元の場所に戻ってこれからという所。人生いろいろ、災害いろいろ。市内は以前の地震による損壊が目立つ建物は取り壊されて、すっかり更地になってしまい復興途中の寂しい感じがあった。震災の恐ろしさは揺れる何日かより不安定な暮らしが長く続くその後が大変。現地で、いざという時の心構えを聞いていても対応できるかのどうかの自信は揺らぐ。

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新築の友人の部屋に通されると部屋はロフト仕様だった。ロフトがアパートではなく戸建にある不思議構造。上には梯子で登れるが少し高さがあって中年には怖い。「キミ、膝が丈夫じゃないのに梯子はいいの」と聞くと、「そうなんだよねえ」と他人事のような返事をされた。

正直ロフトじゃない方が部屋も広くて良いのではと内心チラリと思ったが、人の家なので黙っておく。本人も想像と少し違ったようだが、建ててしまったものは仕方ない。

自分が若い時の一人暮らしのオシャレ物件の象徴といえばロフトであった。部屋をリビングとして上のロフトで眠る姿を思い描くシティライフ。しかし実際のロフトはエアコンの温度の循環のせいで過ごしにくく後に物置になりがちだ。

たまたま同時期に自分の実家も建て直しをしていて感じたが、特に建築に詳しくもない素人(うちの場合は高齢の親)が建てる前に出来上がりなど想像出来ない。なのに希望は伝えねばならないのは辛み。もちろん設計図は二転三転する。大抵の人の想像は明け方に見た夢のようにフワっとして、それと現実の採寸は大違い。そこに他人と大金が絡むので、ややこしくなるが現実だけが進行するので恐ろしい。大きな買い物こそ夢を形にするのは難しい。

友人の家猫は、ロフトが気になるのか上を向いてニャアニャア鳴いていた。君らの秘密基地になればいいな。


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翌朝、仕事に向かう友人と別れて『熊本市立 熊本博物館』へ向かう。道中のバスは地元出身“コロッケ”モノマネ案内アナウンスで、行先をモノマネの声色で告げてくれる。途中で降りてしまうので全部は聞けなくて残念、またの機会に。『熊本市立 熊本博物館』は熊本の名がダブルで入る強めの名称。兎にも角にも熊本の歴史。


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全体的に九州の博物館は古代の出土品が充実している。土器の造形はあっさりした造りだが、後の古墳時代の金属の工芸品になると、大陸の影響か精巧な装飾へと進化を遂げている。6世紀とは思えないほどで、古代のこういう地域差は面白い。中世の加藤清正公時代の熊本城は今の5倍くらいの要塞感で現役バリバリ。雨乞いの絵のバリエーションも面白い。近世は西南戦争時代の実物資料があり、当時の砲弾が木にめり込んだまま残っているのは収蔵品として珍しいかも知れない。

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博物館を出るとすぐ眼の前に熊本城。まだまだ周辺の石垣は修繕が及ばず、土留めで崩れるのを押さえている。大雨とか大丈夫だろうか。しかし天守閣は随分形になってきたようで、以前の入れない部分が少なくなって工事の様子を近くで見る観光ルートが整備されていた。現在修繕進行の貴重な光景が垣間見える。

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加藤神社からは天守閣が真横に見えるので、参拝後の撮影ポイントにもなっている。混ざって撮影すると以前より足場が減っていた。生まれ変わりゆく城。帰りは、お土産を探しに『熊本県伝統工芸館』に立ち寄る。ここは県内の工芸品が展示販売されて、2Fでは企画展も行っている個人的にはオススメの場所。中で地元のご婦人から熊本市役所熊本城が一望出来ると情報を得たので向かう。そこからの眺めは背後の金峰山も含めジオラマ的な迫力がある穴場スポットだった。遠景の熊本城はカニアームでロボ感満載。

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その後は涼を求めて有明海を渡り、熊本新港からフェリーで長崎・島原港へ。海越しに見える雲仙普賢岳は雄々しく出迎えてくれる。意外に長崎は近い。

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島原は湧水の町。屋敷に湧水を巡らせた『湧水庭園』がいくつかあり、そのうちのひとつ『しまばら水屋敷』は中が喫茶店で、縁側で “寒ざらし”という冷やした白玉に蜜をかけた地元名物の甘味を湧き出る湧水を眺めて頂くという夏の贅沢を味わえる。

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もう1件、近所の『湧水庭園四明荘』は明治の木造建築の縁台下に流れる湧水庭園に錦鯉が泳いでおり、この街でしか見られない美しい景観を誇る。確かに他には無いつくり。ここに一晩くらい泊まりたい。

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雲仙普賢岳という活火山があるくらいだから町に温泉もある。『島原温泉ゆとろぎの湯』は地元の人で賑わっていた。泉質はサラッとした感じだが、夏に入ると汗が引かなくなるので要注意。


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いつのまにか店舗が新しくなっていた『六兵衛』に行き、珍しい薩摩芋で作られた地元の郷土料理ろくべえを食す。ここは2回目だが子供の頃に見た『ズームイン朝』の中継で知った。ズームインで得た地方の知識は大人になっても生きている。地方局の個性溢れるレポーターと徳光さんのやり取りが楽しかったので、ああいう全国の情報を一挙に知れる番組を毎日見れる時代は幸せだったと思う。黒めの麺はほんのり甘く、汁はしょっぱさがある。芋饅頭もセットで頼むと甘さとしょっぱさとが口の中で入り交じりベストマッチ。お腹を満たして店を出ると、日暮れの中で雨がチラホラ降ってきた。


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前回来た時は城と博物館に行って、キリシタン弾圧の凄惨さに背筋が凍り付いた。『島原の乱』原城は未踏だが車と時間が無いと難しい。島原のように中世に一揆で住民がほとんど絶えた地域は他に無いので、原城は行く前に下調べをしてから臨みたい。そんな島原のゆるキャラは何処かで見たようなナニカである。

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島原鉄道に乗って多比良港を目指す。熊本からフェリーで長崎に行って、また熊本に帰るフェリーのルート。直線距離は行きの島原港の方が長いが、運航時間は多比良〜長洲間のフェリーの方が倍である。時間の違いは船の違いで有明フェリーの方が、ゆったりしていて内装も応接セットで落ち着きがある。

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夕便のためか、人が少ない。壁にはイルカのような『スナメリ』の紹介が貼られて、昼間であれば海面にあらわれる(かも)という説明だった。しかし、今は雨が強くなり船幽霊に柄杓で水をかけられているような土砂降りで、スナメリには出会うべくもない。船のアナウンスで着時間が遅くなるという連絡が流れたので今夜の宿に連絡しておいた。ゆっくり運航というかほぼ停まっている状態。夜に海の上で雨に閉じ込められているという現実から切り離された静かな空間。フェリーの魅力が満載で大変良ろしい。

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やがて異空間に終わりを告げ、長洲港に到着。着いた港は雨は降っていなかった。牛を沢山乗せたトラックがモーモー鳴きながら通りすがる。湿度の高い夜の空気に、ほんのり牧草の香りがした。

フェリーは線状降雨帯にかかっていて遅れたらしく、その大雨はいま大牟田駅近辺に滞在して上りも下りも電車が停まっているそうだ。

辿り着く最寄の『長洲駅』は巨大なアクリルケースに入った金魚『琉金』のオブジェが飾られて、金魚の町をアピールしている。アナウンスでは電車は更に1時間ほど遅れてくるので誰もいない駅のホームでひとり待つ。次第にアクリルケースが宵闇に溶けてなくなって、大きな金魚は夜を自由に泳ぎだしたように見えた。

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どうも九州は、たまに異空間がポッと開いて時間を止めてしまうので、その居心地の良さは油断ならないものがある。

ぼうっとしていると入線してきた列車のライトが眩しくて、あっという間に現実に引き戻された。



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