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余白

日曜日にお墓参りから足を延ばして国立新美術館に

リー・ウーファンさん

15番、最後の展示室の作品は大きなキャンバス、というか

一面の白い壁そのものがキャンバスになっていて

そこに、ちょこ ちょこ っと

何かの造形というより 筆跡が

申し訳程度に描かれていて

画面は殆どが真っ白で、そう、余白だらけだ

余白を描きたかった

素人は余白は副次的に生まれるものだと思ってしまうけど、描く人はそう言っていた


ヨガとはなんぞや

内側のお喋りを極力減らして

吐く息と吸う息と体の動きを一致させて

因れた筋膜をリリースして

身体に隙間を作ろうとしているんじゃないかと

自分なりには思っている


毎朝45分間のヨガの後、noteを書いているのだけど

真っ白なキャンバスに向かっているような

スルスルと右脳から出た言葉が文字になるような感覚がある

書き終えてみると

ふうん、こんなこと思ってたんだねアタシ みたいな

ウンウン唸って、書きたい書かなきゃとキーボードに向かって、見られる自分、読む人を意識しはじめたら

着飾った自分、ヨソイキの自分が顔を覗かせて

打ち出された文字は厚化粧 他人の顔をしている

見つめるべきは自分の井戸の底

ふと、不意打ち食らうように

静かな脳ミソに浮かんだことを

恥や外聞や見栄が

お清めの塩にサッと掃かれて

短く表れた余白を捉まえて書き留める

また直ぐにとっ散らかるけどね苦笑

頭ん中竜安寺石庭になったら、涅槃だ悟りだそれは仏だ私は未だ生きている苦笑

まだまだ私の陣地はカオスだよ笑










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