恥ずかしがらずに
バスの乗客の平均年齢は高い。母に聞いても、年を取り段差なく乗降できるバスが移動手段の中心だそうだ。地下鉄や電車は階段の昇降がつきまとい足腰に負担が大きいそうだ。
次女とファンタビを見た帰り道、バスに駆け込み乗車それぞれ別れて後方の2人掛け席に座る。後方に飛ぶ景色を窓の外に眺めながらウトウトしていると、
ーあら、悪いじゃない?いいのぉ?ありがとうねぇ。
と、誰かが席を譲るやり取りが聞こえる。
ほほう、感心な人がいるなあと思い、声のする方を見遣れば、
席を譲ったのは、ピスタチオ色のカーディガンをきた次女でした。おお。
育てたように子は育つ。どこからか天の声。そうです。自分がよいと思うことをするのに、恥ずかしがる必要も躊躇する必要もない。軽い気持で、思い立ったら大安吉日さっくりやりましょうと、見せてきたつもり。
いや、寧ろ当然なんだよと。
とはいえ、残念ながら親の小言に彼女の行動変容を促す効果があったのではないと思われる苦笑。
恐らく彼女に強く印象に残ったのは、コロナ前の夏の京都、金閣寺に向かうバスの中、様々な国籍の人々でギュウギャウ寿司詰めになりながらも、通勤者のような殺伐とした感じはなくて、旅行者特有のハレの空気を纏う人たちが醸すウキウキした空気が流れていた時のこと。
そこに、地元のオバアたちが、こんにちわ⤴暑いどすなあ⤴など口々に遠慮なく次々乗り込んでいらっしゃる笑
すると、我先にと外国人観光客たちが、席を立ち上がり席を譲り始める!壮観。圧巻。
あらまあ、おおきに、おおきにと
オバアたちは座席に吸い込まれ、外国人とのしばしのご歓談の時が流れる。
また、隣り合わせたもの同士が、声を掛け合い、狭い暑い車中を、少しでも互いのコミニケーションにより快適にしようとする姿も、彼女には新鮮に映ったようだった。
お年寄りに席を譲るのは、ある文化圏では、当然のマナーであることや、恥ずかしさもまた文化で、日本人は特に感じやすいことを、実際に彼女が経験したときに話したことで、腹落ちが良かったんだだと思う。
真っ直ぐ前を向いて立つ次女が、頼もしく美しくみえた昼下がりに。
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