見出し画像

今日も「洲之内電気」で耳を肥やす -愛大生のミュージックライフ

 かつては、いまの新居浜工業高等専門学校の場所に「愛媛大学工学部」のキャンパスがありましたが、1960年代前半にそれが松山に移転して以降、4年制大学に進学するためには市外に出ることを余儀なくされた、新居浜の若者たち。関東・関西方面や広島など、四国を離れて学生生活を送るケースが多かった一方、少なくない高校生は愛媛大学や松山大学を進学先として選び、県内で学生生活を送りました。
 今回は、その中から主に愛媛大学に進学した新居浜の若者たちの、昭和時代のミュージックライフを紹介します。

 大学に入ってからね、洲之内電気というのがあってね、そこに入り浸りで。いろんなステレオを聞かせてもらって。
 上一万ってわかる?いまの日赤のところ。そこの、停留所分かる?そこをまっすぐ行って、最初の角のところ。そこにあったんよ。洲之内電気。家は鉄砲町にあったらしいんやけど。そこの親父さんが有名な人でね。いろんなのを聞かせてもらって。『パラゴン』(注;アメリカ・JBL製の高級スピーカー)もそこで聞いたし。
 大学の頃は、だいたいみんな部屋が普通の四畳半よ。当時は、畳一枚が1000円くらいだったんよ。家賃が。四畳半だったら4500円くらい。だから、大きいステレオとかを置いたらもう場所がなくなるんよね。

 これは、愛大に進学した昭和20年代生まれの方の話ですが、この方以外にも、愛媛大学に進学した多くの音楽好きの方が学生時代の思い出として口にしたのが、昭和当時、いまの松山市・上一万交差点から北に少し入った辺りに店舗を構えていた「洲之内電気」。のちに「洲之内テレビ」に店名を変え、今では松山市鉄砲町に店舗外観が残ります。
 上一万交差点以北は、学校へも徒歩圏内で今でも学生たちの下宿が多いエリア。そんなエリアに立地する、オーディオの有名店。学生たちが入り浸るには、絶好の場所でした。

 大学の近くにね、洲之内電気というのがあって。真空管方式の昔の、こーんな大きなスピーカーがありましたね。必死になって僕の友達なんかは、バイトで稼ぎ、スマートボールで稼ぎ、そのころは一万円もあったら生活できるのに、十万円くらいの、真空管のをほしい、いうてね。新品じゃなかったと思うんですけど。学生なんか暇がいっぱいあるから。スマートボールが、稼げるんよ。愛大の先輩なんか、それでギター買ったりしてたし。

 こう話すのは、昭和40年代後半に愛大で学生時代を過ごした男性。「真空管方式」ということで、スピーカーではなくアンプのことなのかもしれませんが、とにかく勉学の合間にお金を貯め、洲之内電気で機材を聴き比べ、お気に入りの機材を手に入れるのは大きな夢。他にも、スピーカーやアンプを買ったはいいもののプレイヤーを買うお金がなかったり、大きなスピーカーは置く場所がないのでエンクロージャー(スピーカーの外箱)無しで、純粋に「スピーカー」部分だけを購入し、「コンパネ1枚買ってきて、それを半分に切って90㎝角、真ん中に穴をあけてスピーカーをつけて、額縁みたいに壁にかけてた。」という方も。とにかく、少ない手持ちと狭い間取りと「洲之内電気」を最大限活用して、精一杯のオーディオライフを楽しんでいました。
 一方で、音楽を聞く方ではなく、実際に演奏することを楽しむ学生たちも。

 大学受験の勉強をしながら、夜こそっとギター弾いたり、深夜放送を聞いたり。『オールナイトニッポン』とか。受験勉強を1時間して10分くらい弾いて、とかね。
 そうして大学に入って、大学のクラブに入って本格的にギターを先輩に教えてもらって。大学に入った頃は、安田講堂事件じゃないけど、そういう時代。でも、愛大のギター部はね、そっちの方向には走らなかった。練習しよる場所のすぐ横がね、フォークソング部だったから、その部はそうだったんだけど。
 でも、合宿行ったら、暇なときには、『若者たち(ザ・ブロードサイド・フォー)』とか『小さな日記(フォーセインツ)』、そういうふうなフォークソング。そういうふうなのをね、やってたよ。もともとそういうのは反戦歌。だんだんと指が動くようになって、誰かが伴奏して歌うようになったりね。そういうのは雰囲気ありましたよ。1年生と2年生のころは、授業がなかったから。入学して、もう6月には授業がないの。
 そうしたら、サークルが盛んになったんよ。授業がないんだもん。よそみたいにロックアウトで大学に入れなかったらダメだけど、愛大は入れたからね。部室にも行けて。授業ないから、みんなギターばっかり弾いてたんよ。だから、幸せ。その代わり、1年後には前期と後期の試験を一緒にしたから、ひーひー言ったけどね。2年生ごろには解消して、1年半くらい、大変だったねえ。

 昭和44(1969)年11月の「東大安田講堂事件」が象徴的なように、激化するベトナム戦争と、自動延長について賛否のあった「日米安保」問題を背景に、ときに過激化する学生運動が注目された時代。そんな時代にあっても多くの学生たちは、順調な経済成長に歩調を合わせるように多様化していく様々な流行音楽を、このように思い思いのやり方で堪能していました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?