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【先行公開!】昭和60年代以降(1985~)と平成 ―CDと「J-POP」の時代

 昭和60年代以降の音楽メディアの主役は、CDでした。そして、トップアーティストのリリースするCDがミリオンヒットを連発する時代でした。
 昭和60年代(1985年~1989年)には、販売枚数、販売金額ともにCDがレコードを逆転。全国的な統計でも、レコードはサイズや回転数など種別ごとに細分化して集計されていたものが「アナログディスク」と一括りにされ、DJや音楽愛好家の中で一定の需要を保ちつつも、「音楽を聞くと言えば、CD」という時代がやってきました。

 そんな時代にまず若者を虜にしたのが、バンドブーム。1960年代末、日本に「ロック」が広まっていくにつれて一部で議論となった「日本語でロックは可能か?」という論争も今や昔、パンクロックやニューウェイヴ、ヒップホップ、ダンス音楽など、英米から多様に流入してくる音楽を吸収し、自らの表現の糧にしていくアーティストたちが次々にデビューを果たしていきます。それが「ロック」ブームではなく「バンドブーム」と総称される点について「日本語のポップ音楽のみを聴く層が、日本語のロックを少し聞いただけで自分たちでもロックを始めてしまった、というバンドが多い」という言及もありますが、彼らの存在が今の「日本のロック・パンク」の源流となっており、今なお現役で活躍するアーティストも多い、言うなれば黄金期の到来です。
 筆頭格として挙げられるのが、甲本ヒロト率いる「THE BLUE HEARTS」。『リンダリンダ』『TRAIN-TRAIN』など、言葉とリズムの分かりやすさが若者の絶大な支持を得ました。
 今なお現役という点では、ギターの布袋寅泰とヴォーカルの氷室京介が二枚看板だった「BOØWY」や、奥田民生をフロントマンとして、とくに女性人気が高かったという「ユニコーン」、強烈な衣装や化粧で‘ビジュアル系バンド’の代表格だった「X JAPAN」なども、この時代に人気を不動のものにしたバンドたち。楽曲だけでなく、ファッションや演奏スタイルなど、彼らを構成するあらゆる要素が若者たちに影響を与え、真似をする者が続出しました。

 もちろん、バンド以外にもトップアーティストが多数登場した時代です。
 昭和50年代に活況だった‘アイドル’たちも健在。松田聖子、中森明菜のツートップに加え、フジテレビ系『夕やけニャンニャン』からデビューしたおニャン子クラブ、『スケバン刑事』シリーズの主演を機にスターダムを駆け上がった斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』での女優デビューを機に、歌手としても人気を博した‘ミポリン’こと中山美穂など、多くの女性アイドルが活躍しました。
 いくつかの男性アイドルグループが社会現象を巻き起こしたのも、この時代。今でも耳にする機会の多い『スシ食いねェ!』などのヒット曲の他、テレビ番組のMCなどでも実力を発揮していた「シブがき隊」、近藤真彦のバックダンサーとして注目されたのをきっかけに、その高い歌唱力とキレの良いダンスで人気を獲得した「少年隊」、ローラースケートを履いたアクロバティックなダンスが人気で、日本中にローラースケートを履いた少年少女を出現させるきっかけとなった「光GENJI」など、今なお多くのアイドルグループを世に送り出している「ジャニーズ事務所」のアイドルたちが忙しくテレビの中で躍動していました。

 1970年代に‘旧来の歌謡曲などから一線を画した新しい音楽’という点から「ニューミュージック」という差別化を得て発展を続けていた音楽群が、さらに「J-POP」という総称を得て圧倒的な市民権を得るのもこの頃、1980年代の末頃とされています。
 「ニューミュージック」の担い手として確かな支持を得ていた山下達郎や松任谷由実などのシンガーソングライターに加え、J-POPの源流的な存在と言われることもある渡辺美里の『My Revolution』、岡村孝子の『夢をあきらめないで』など、アイドルともバンドとも違うポップスが、「JR」「JT」など当時様々な分野で「日本独自の」という意味を込めて名称に折り込まれることの多かった「J」という冠を戴き、「J-POP」という名称で一気に認知されていきます。
 フリッパーズギターやピチカートファイヴなど「渋谷系」と括られるアーティストたちや、小田和正、浜田省吾、KAN、槇原敬之らシンガーソングライターたち、DREAMS COME TRUE、CHAGE and ASKAなどミリオンヒットを連発したグループまで、数々のJ-POPアーティストも人気を博しました。
 中でも平成(1989~2019)に入って、それまでの経済的な停滞ムードがウソのように驚異的なヒットを連発し、音楽における‘プロデューサー’の存在を庶民に印象付けることとなるのが、小室哲哉。彼が作詞・作曲・編曲・レコーディングなどすべてを統括したアーティストたちは「小室ファミリー」と呼ばれ、爆発的なヒットを記録します。ダンサブルなサウンドで『BOY MEETS GIRL』などが記録的なヒットとなったtrf、楽曲のヒット以降、日本を代表する女優となる篠原涼子の『恋しさと せつなさと 心強さと』、小室自身もメンバーだったglobe、そして2018年に惜しまれつつ引退を表明した安室奈美恵などが、‘小室ファミリー’としてCDセールスを伸ばしました。

 そして、「CDが売れなくなった」と叫ばれて久しい現在。インターネットのサブスクリプションサービスなど、手元に端末さえあれば、CDなどのソフトがなくても、無限に音楽が楽しめる時代となりました。しかし一方では、音質や、‘物理的に所有している感覚がいい’という点から、レコードが再び注目を集めてもいます。そんな「現代」を将来、振り返る機会があったとして、さて私たちはどんな言葉で語られる「音の記憶」を持つことになるのでしょうか。

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