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【先行公開!】昭和50年代(1975-1984) -百恵?聖子?明菜?…空前のアイドルブーム!

 「アイドル」という言葉が全世代的に認知されるようになったのは、昭和46(1971)年ごろから、とされています。この昭和46年、何が起こったのでしょうか。

 まず、NHK総合の放送が全時間帯でカラー放送になります。昭和50(1975)年ごろに普及率が90%を超えることとなるカラーテレビの、この時点での普及率は50%を超える程度でしたが、お茶の間でカラー映像を気軽に見ることができる時代が到来。‘人気者’の発生源は、映画やラジオからテレビに、完全に移行します。
 そして、「元祖アイドル」南沙織がデビューした年でもあります。本土復帰を翌年(昭和47年)に控えた沖縄からやってきたエキゾチックな美少女は、またたく間に世間を魅了。デビュー曲『17才』は大ヒットを記録し、‘アイドル’の何たるかをお茶の間に強く印象づけました。
 のちに山口百恵やピンク・レディーを世に送り出すことになるオーディション番組『スター誕生!』が日本テレビ系列で放送を開始したのもこの年。番組企画、審査員としてこの番組に携わり、昭和を代表する作詞家としても名を残す阿久悠の「テレビマンとしてスターを生み出したい」という思いが、見事に結実した番組でした。

 このような‘アイドル黎明期’を経た、昭和50年代。各家庭の‘標準装備品’として完全に定着したカラーテレビの画面の中で、百花繚乱のアイドル黄金時代が始まります。

 まず紹介しなければならないのは、昭和アイドルのアイコンとも言うべき山口百恵。昭和47(1972)年の『スター誕生!』準優勝をきっかけにデビューを果たした不世出のアイドルは、『横須賀ストーリー』、『イミテイション・ゴールド』、『いい日旅立ち』など数えきれないほどのヒット曲もさることながら、三浦友和と共演したTBSドラマ『赤い疑惑』、同じく三浦との共演作である東宝映画『伊豆の踊子』など、歌手の枠を超えた稀代の表現者として時代を席巻。人気絶頂の昭和54(1979)年、「私が好きな人は三浦友和さんです」と衝撃的に宣言し、翌昭和55(1980)年にわずか21歳で引退。日本中に鮮烈な記憶を残した‘伝説的’な存在です。

 この山口百恵に代わるように、時代を象徴する存在として昭和を駆け抜けたのが、松田聖子と中森明菜です。
 昭和55(1980)年に『裸足の季節』でデビューした松田聖子は、まさに昭和のアイドルを体現した存在。デビュー前からの髪型を貫いたという「聖子ちゃんカット」やフリフリのドレス、ときに「ぶりっ子」とも揶揄されたかわいらしい仕草や容姿、すべては彼女の‘セルフプロデュース’の賜物で、‘ポスト山口百恵’としてその使命を全うしていきます。
 その松田聖子のデビューから2年後の昭和57(1982)年、『スローモーション』でデビューを果たす中森明菜。細野晴臣、玉置浩二、井上陽水などバラエティ豊かな作家陣に支えられながら圧倒的な歌唱力で人々を魅了し、松田聖子と双璧をなす文字通り「歌姫」として音楽シーンに君臨しました。『少女A』『飾りじゃないのよ涙は』『セカンド・ラブ』など、‘聖子ちゃん’とは対照的に苛立ちや苦悩をリアルに吐露するアーティストです。
 「普通の女の子に戻りたい」と、後楽園球場に1000人の警備員、400人の機動隊、そして55,000人のファンを集めて、キャンディーズが4時間半・51曲にも及ぶ解散公演を行ったのは昭和53(1978)年4月のこと。ランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんがそれぞれのキャラクターでお茶の間の人気を博したキャンディーズは、アイドルグループのパイオニア的存在でした。
 『ペッパー警部』『サウスポー』『渚のシンドバット』など、大胆な衣装を身にまとって数々の「歌って踊るポップス」を繰り出し、社会現象を巻き起こしたピンク・レディーは昭和51(1976)年のデビュー。『UFO』など独創的な振り付けは、多くの少年少女がこぞって真似をしました。
 その他、岩崎宏美や榊原郁恵、‘キョンキョン’こと小泉今日子、『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子、‘バブリーダンス’として近年その楽曲が再び注目を集めた荻野目洋子など、黄金時代と呼ぶにふさわしい数々のスターたちが、世間を賑わせました。

 
 このような黄金時代を黄金時代たらしめたのは、テレビの存在。国民的な注目を集めた年末恒例の『紅白歌合戦』と『日本レコード大賞』は、1970年代の平均視聴率がそれぞれ75.9%、43.1%を記録するなど‘お化け番組’でしたし、アイドル人気の嚆矢となった『スター誕生!』人気にあやかろうと他局でもオーディション番組が制作・放送されたほか、『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』など、最新のヒット曲をメインにした番組も続々と登場。とくに『ザ・ベストテン』は「いま流行っているヒット曲だけを紹介する夢のような番組」として、葉書リクエストを重視したランキング上位10曲をカウントダウンで発表する形式も受け、熱狂的な支持を受けました。

 しかしながら栄枯盛衰、このような黄金時代の中であらゆる‘アイドル’のスタイルが消費しつくされ、昭和60年代に入るとそのブームも落ち着き、「アイドル冬の時代」ともささやかれ始めます。
 昭和57(1982)年にはレコードの後継的存在としてCDの販売も開始。バブル景気という戦後最大の盛り上がりを見せる日本にあって、バンドブームなど新たな音楽的潮流が、若者を熱狂させる時代がやってきます。

≪参考文献≫(新規分)


阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』新潮社2004
『日本昭和アイドル歌謡大全』辰巳出版2020
『ニュー・スタンダード・オブJ-POP300』ぴあ2004


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