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どこまで優しくあるべきか

三連休おしまい

三連休終わりました。
自分は限界博士院生として、三日間朝から夜までどこにも行かずにほかに何もせずに、論文を書くために時間を使っていました。

参考文献を読んでいて、
どういう意味なのかよくわからない文章があると、
そこですごーーーーく考えます。

考えて考えて、とりあえず書き出してみたり、図にしてみたり、
他の文献と読み比べたり…。
分かっていない状態で引用はしたくないのです。

時間をかけて、ようやく理解できると、
とてもわかりやすい説明が書けます。
自慢じゃないんですけど、
わかりにくい難解な文章を理解できない自分には、
わかりにくい難解な文章をそう簡単に生成できるわけがありません。

なんてわかりやすい文章なんだ…!と我ながら思いつつ、
でも、こんなに時間がかかってこの文章にたどりついてることなんて
読み手には伝わらないのだろうな…と思うと、
なんだか複雑な気持ちになります。

どのくらい時間をかけるか

そこまで噛み砕いて理解できていなかったとしても、
わかりにくい文章をわかりにくいままそれっぽく引用して、ちゃちゃっと終わらせてもいいのかなという気持ちになることがあります。

でも難しいことを言えるんだ!って、別に見栄を張る必要もないんだろうとも思います。
ただすごく時間がかかるんですよね。

仕事って速ければ速いほどいいと思うんです。

大卒三年で博士号を取得して研究者として活躍している方の記事を先日引用しましたけど、理系の分野は特にさっさと学位を取った方がいいという考え方がある印象です。

私も当初はさっさと修了したいと思っていました。
まあでも挫折してよかったという思いもあります。

順調に学位取得して運よくアカデミアでの人生を手に入れたとしても、
自分には肩書を背負うのは無理だったと思います。

やっぱり実力をちゃんとつけたいです。
なんなら教養があるならアカデミアの仕事は得られなくてもいい。
もはやそこにはこだわっていません。
あんまり贅沢も言ってられない時代ですから。

せめて学問をおさめたと自分の中で言える人生を生きたいと思っています。

それでも優しくしたい

私には背負っているものは何もありません。
養っている家族もいないし、仕事で重要な責任を負っているわけでもありません。
稼ぎたい気持ちも、業績を増やすために努力しようという気持ちもありません。

だからせめて人に優しくいようと思います。
せかせかと生きる必要もないですからね。
それに今更焦ったところで、私はもう手遅れです。
学問の世界のレースを降りて、自分のペースで歩くと決めました。

何も持ってないからこそ、優しくするために時間をかけてもいい。
わかりやすい文章を書くことは、優しさだと思っているので。

PowerPointを見やすくする、文章をわかりやすくする。
そういうことに時間を費やしたっていい。

何をしてもいいし、何もしなくてもいい人生。
少しでも誰かにとってポジティブになることを選択しようと思います。


お読みいただきありがとうございました!

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