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10月1日は体育祭

10月1日は体育祭

(昨日は別の記事を書きたかったので、昨日の日付の話になっちゃいますが)

高校一年生のとき、10月1日が体育祭でした。
高校卒業してずいぶん経つのに、なぜかすごく印象に残ってるんですよね。

自分の中でこんなに日付と思い出が強烈に結びついているのは、他にはない気がします。

10月なのに暑かったんですよね。
秋口で涼しくなってくるかと思いきや、半袖で十分の気候だったと思います。
だから10月1日に体育祭があったって覚えてるんです。

何気ない一日を覚えている

高校1年生の9月30日のこともセットで覚えてます。
その日は体育祭の前日で、準備をする日でした。

委員会ごとに役割があったのですが、
自分は隣のクラスの子と一緒にやることになりました。
友達の友達だったので、お互いに認知はしてました。
でもそれまで直接話したことはなかったので、最初は気まずいわけですよね。
そこから作業しつつ、ゆっくりとしゃべれるようになる。
そしてようやく打ち解けたなっていう段階のとりとめもない会話を覚えてるんですよね。

やること終わって、椅子に座ってまったりしてたときのこと。
向こうの親が保育士だと聞き、保育士だと小さい子供に諭すような話し方になるんじゃない?みたいなことを私が言うと、
そうなんだよ~と苦笑していた表情を思い出せます。

高校生なのに子どものような話し方され、
すごく不快というわけではないけど、自分はそんな年齢じゃないよ~と日頃思っていそうなことがうかがえました。

記憶で繋がる存在

学生時代の記憶の大半は思い出すことはありません。
でもこんな風になぜかいつまでも忘れない日があります。

時間が離れていくほど、むしろ貴重に思えます。
上の話を読んでくださった方、別に落ちもないし、面白いわけではないですよね。

でも自分はそういう何気ない日常の記憶を何度も思い出しては大事に懐かしんでいます。

その子とはクラスが違うのもあって、ふだんは接点がないため、その日以降は関わることもなかったですし、
今はどこで何をしているか全く知りません。
だからこそこの記憶の断片だけが唯一その人との繋がりなのです。
何も思い出さなくなったら、自分の人生から存在が消えてしまいます。

来年も10月1日は体育祭だったと思い出し、
その子との会話をまた脳内で振り返るのでしょう。


お読みくださりありがとうございました。

今週もがんばってまいりましょう!


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