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交換日記#12【変態の哲学】byあかちゃん

あおちゃんへ

素敵なビール講座ありがとう。
7年近くの付き合いになる私たちですが、いつもふわふわ、ぼやぼや、、、「あれ?忘れちゃった」が口癖のあおちゃんからは、こんなに多くの情報を受け取った事が無いのではないでしょうか。本当にお酒好きなんだな〜とその熱意に感動させられました。

私も語れることをだらだらと探していたところ、
自分の外のことより、内側のことの方が語れるなと気づいたので、自分と性別との関わりについて書いてみようと思います。

noteになにかを書くということは、自分の興味や特技や自分自身を切り取ることであり、
私にとってジェンダーのことを切り離しては書けないなぁと感じてきているのです。
思い切って好き勝手にぼやいてみようと思いますが、私はジェンダーマイノリティのコミュニティ等に全く関わったことがないので、正確な情報と言うよりは、一個人の呟きとして、ただ読んでくれたら嬉しいです。


私はXジェンダーです。
性自認・性嗜好については様々な感覚が種類分けされ、それぞれ少しずつ違っていたりするので、正直自分でも何が正しいかは分からなくて、
今現在で一番しっくりくるかな?と思うものを、分かりやすく伝えたいときにだけ言葉を借りてお伝えすると言った感じで、特にXジェンダーであることに確固たるこだわりは有りません。
そう言う意味ではクエスチョンだとも言えるかな?と思っています。

言葉は不思議なもので、私の本当の感覚を必死に話しても、この感覚をリアルに伝えることは難しいのに、
LGBTQ+、ジェンダーマイノリティー、Xジェンダーという名称を用いると一撃で伝わってしまいます。
すぐに伝わる嬉しい事でもありますが、その中でもひとりひとりに多様な感覚がある事や、個性があることは無視され、あの人はそういう人 という名称だけの認識に留まってしまう寂しさもあります。
そのため、分かりやすく私を知ってもらった後にどれだけその個性まで結びつけるのか、というのが1番の悩みどころです。

さて、一言にXジェンダーと言っても色々な感覚があるので、軽く私のことを話したいと思います。

私は女性の身体で生まれています。生まれてから24年間、体は女性のままで、特別この体に違和感を感じたこともありません。
しかし自分の内側が女だとは思えません。もちろん男になりたいと思ったことも無いです。
どうしても心の中は「どっちでも無い」というニュートラルなスタンスを取りたがるのです。

私の「どっちでも無い」という感覚は当たり前を嫌います。どっちでも無いからどっちでも良いんだけど、
「ふつうの感覚」で当たり前に「女性」と振り分けられると確かに違和感を感じできました。
小学校のとき、私は運動が得意でした。そこらへんの男の子よりサッカーもできるし、活躍もできる。それでも男女のクラスで分けると女の子側に分けられている。
中学生のとき、気が合う男の子と話すとなぜか、○○君の事が好きなんじゃ無いかという噂が流れる。
高校のとき、サッカー部がトイレの前にたむろしていて、その中で「女子トイレ」に入るという事が、私はは女ですと認めさせられるような気持ち悪さがあり、1番上の階まで上がり、こっそり音楽室のトイレを利用する。

誰も私のことを嫌な気持ちにさせようと思ってないのも分かるけど、普通の女子に振り分けられるのはどうしてかわからない。

そういうことに対する違和感が募って、
小学生低学年から、言葉選び、ファッション、立ち振る舞い、勉強・仕事の向き合い方など日常で遭遇するあらゆる選択に、自分のこの性自認がチクチク影響を与えてきて、最近になるまで素直に人付き合いをするのがすごく難しく感じて来ました。

大学後半で確実に自分がジェンダーマイノリティであるということを認識するまではどうしてか分からないけど違和感。というのを抱えてきましたが、

やはり性自認に関することなので、性嗜好と比べれば当事者でも気付きづらいと思います。

又は、必ずしも性別のアイデンティティではなくて、
その人の倫理観、哲学として深められている場合もあるんだろうな、と思います。

私の身の回りにはLGBTQ+に当てはまる友達は居ません。私に伝えていないだけかも知れないけど、特別聞かなくてもいいと思っています。
それはそういう感覚は必ずしも性別として出てくるものでなくて、その人の物の捉え方とか、変態的なこだわりとか、回り回って面白い個性として、私と気が合うなって思ってくれていれば、なんでも良いのです。

だから友人達と私の性別について話をするときは、
倫理や哲学の話題として出てくる事が多いです。

世間にとって、性的・恋愛的な話題として認識される事が多いテーマだと思うけど、
社会問題だったり、哲学だったり、人生観とか色んな見方ができて、そこで輝いたり、一般とは違う考え方で人に与えられることもあると思う。

好きになる性別が違ったり、自分をどうしても女性と認められなかったり、社会から見たら変人で、生物学的にみてもはみ出しものかも知れないけど

そんな変態たちにも哲学くらいあるのよ、
その世界に興味を持って、もう一層深い所まで付き合ってくれる人たちが少しでも増えたら嬉しいなと思う今日この頃です。

まだまだ溜めてきた思いは沢山ありますが、長くなるのでこのくらいにしておきます。
自分でも冷静に文章としてまとめたのが初めてだったので、何か目に見えない心の老廃物がデトックスされたような気持ちです。
またこのテーマについて少しずつ書いていけたらなと思っています。

次はあおちゃんのお酒講座第二弾をお願いします。
個人的には日本酒について聞きたいです。

まだまだ暑さは引きませんので熱中症にならない程度に頑張りましょう。

あかちゃんより

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