見出し画像

2020?2021?東京オリンピック備忘録

2021年なのに「2020東京オリンピック」が始まった。記録として書いておく。それにしても「TOKYO2020」の旗、東京の商店街のそこらにあるけど、1年以上持つものだなあ。

オリンピックは好きだ。幼少時はカール・ルイスに憧れたし、リレハンメルのテーマ曲も今思い出せるし、バルセロナ古賀選手の金メダルは徹夜で見て泣いたし、長野はチケットもないのに母と雰囲気を味わいに行って善光寺参りしたし、リオは今思い出すと腹立たしい男(笑)と一緒に一喜一憂したし。母は1964年の国立競技場の開会式の上に描かれた五輪の雲を、五反田の家の屋上から見たそうで、よくその話をしてくれた。

「4年に一度」の時間軸。その時々の「4年に一度」の思い出が、オリンピックの開催場所と結びつく。

画像1

※写真は開催前に、front of 選手村(無人)で食べた海鮮丼。ここ良いよ

しかし!今回はなんだ!好きなオリンピックが自分の街に来るというのに!
誇らしいホストタウンの住民どころか、税金払う当事者。未知の感染症拡大下で開催という、未知の領域の住人。

大会経費1兆6440億円、うち組織委員会が7210億円を支出、残りの9230億円は国と東京都の負担。

この数週間のためにもこんな巨額が使われるって、大反対! 前日1800人まで感染者が出ているのに、それでも開催する上での具体的な対策が示されないこと(小池知事は一切出てこなくなった)、庶民には我慢を強いるのに「いったん決まったらやめられない止まらない」為政者の無策、素直に応援できない雰囲気……腹立つし、反対行動を起こせない自分にも腹立つし、いつ感染者になるかの不安と相まって、モヤモヤばかり。

「うちのマンションの前、トライアスロン会場らしいんですけど当日、道通れるのかいまだ連絡ないんすよ!当日出勤できるかわかんなくて!」

お台場に住む仲良し美容師さんが嘆いていた。私も7人制ラグビーのチケットが当たっていたのに、2回「抽選になりました」「抽選の日程が変更になりました」メールが来た後、「無観客になりました。返金は大会終わってから」メールが来た。

現場の人の大変さはお察しするし、異常事態だから仕方ないとは思うけど、1年延期した分の準備時間は……。

開会式はちゃんと観た。週刊誌で演出者の交代が報じられててムカついたけど、やると決めちゃったんだから、1年延期したんだから、期待した。思い切り日本のエンタメが全力で何かやってくれて、モヤモヤを少しでも「いや、やっぱりエンタメの力はいいね!気分アガるね!」と、スカッとさせてくれることを期待していた。ええ、庶民は観ますよ。旅行もお酒も1年以上我慢しているんだもの。

……いやー、コロナ対策で大変だったでしょうが、一番楽しめたのはどこの大会でも変わらない「選手入場」でした。各国の鮮やかなコスチューム比べ、楽しかった~☆(ゲーム全然やらないので音楽は響かず)

あとの雑感を列挙すると
●個々の出演者は素晴らしいが、おのおののショーに一貫性がない(海老蔵と上原ひろみはコラボになっていたのか??)
●テレビ的だった(ピクトグラムとか。テレビクルーも、劇団ひとりも、演出が古く感じた)
●ダンサーなど、全体的に出演者人数が少ないのでは?
●「多様性」の理念は分かった!分かったけど!「肌の色や年齢が多様な人たちに何かさせる」以外の演出はないものか 日本の伝統文化だけでグイグイ押したって「多様性」じゃないことにはならない、むしろ世界の文化的多様性を表す演出になると思うけど。
●やっぱりお客さんがいないと祭典感がない!

などなど、個々の出演者のショーは楽しんだものの、演出が消化不良に感じたまま床につきました。

(もっと、火を囲んでアゲアゲになる祭典を観たかった。大曲の花火とか!ゴジラとか!ねぷたとか!AKIRAとか! なぜ、王道を行かない?ブツブツ)

でも、オリンピックの開会式を初めて観るという夫はドローンを「ナニコレ!すごい!」とストレートに騒いでたし、ピクトグラムもウケてたので、まあ……見る側も、多様性?(テキトー)。まるで文句タラタラなひねくれた自分が相対化されたようで、ウッとなる。

開会式当日は、夫が月1の面会で子供たちのところに行き、私はワクチン接種の終わった母に久々に会いに行った。夜、家で集合して一緒に観た。

「オリンピックまであと6年」「その頃 私達は40歳」「もし6年後も今のまま一人のままだったら オリンピックでお祭り騒ぎの東京の街を 私達は」「どんな顔して歩いてるんだろう」

『東京タラレバ娘』は東京オリンピック開催が決まった時点で「7年後、自分は誰とオリンピックを観ているのだろう?」という独身女性たちの不安を冒頭に置き、婚活あれこれが描かれるストーリーだった。(実際は、誰もお祭り騒ぎしていないわけですが……)

東京オリンピック開催が決まった2013年9月、私は泥沼離婚して2年、すでに40歳、そこまで明確に「7年後、誰と?」を意識したことはなかったし、「40過ぎて婚活なんて」というジョーシキに負けちゃってたし、それどころではなかったように記憶している。

ただ実際、婚活はしていた。設計がまっさらにリセットされたあのとき(ま、今でも将来設計などできてないのですが)の茫漠とした不安はたまらなかった。

ほとんどが一回限りの男性との会食を繰り返しながら「四十女の存在意義とは」「そもそも人とまた暮らせる日など来るのだろうか?」と心細かった日々を思い起こすと、こうして夫と開会式を観られたのは良かったといえるかもしれない……たとえ「桑子さん、紫のワンピース似合う!」「和久田さんの実況、的確!」と、着目するのはNHKアナばかりの夫であっても!(笑)

そういや、1964の国立競技場の上の五輪の雲を大切に覚えている母は、会ってた開会式の日の当日、一度もオリンピックの話をしなかった。ちょうど会ってた時間、ブルーインパルスが東京上空を飛んでいたそうだが、東京駅まで見にいったミーハーな知人によると、雲で見えなかったそうだ。

その時々の思い出と結びつく4年に一度のオリンピック、もう生きてるうちには二度とないだろうホームタウンのオリンピック、「東京じゃなくてどこでもよかったんじゃね?」な思いしかないオリンピック、10年たったらどんな思い出が残るのだろう。これを書いている7月27日(本当は明日7人制ラグビーを観る日だった)、東京の感染者数が過去最高の2848人。後遺症がやばいらしい新型コロナに罹る可能性がいつでもどこでもある今、10年後も来年も考えられないのが正直なところ。

何も考えず、ビールを片手につばを飛ばして声援を送っていた日々、日本が勝てば渋谷の交差点でハイタッチし合った日々、あの掛けがえのない日々はしばらく戻らないし、次その場にいられる自信もない。

そして、巨額オリンピックに反対しながらも、医療従事者が大変な状況と聞き知っていても、何だかんだで始まれば見てしまう自分への説明のつかない苛立ち。オリンピックを観ることが後ろめたいという、初めての感情。

いろんな意味で景色が違う、未知の体験、2021年の夏。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?