~18歳シリアに行く~ダマスカス編④
諸注意※この文章はシリア・アラブ共和国への渡航を推奨するものではありません。情報を収集した上ご自身の責任で渡航される事をおすすめします。
※現在、今後シリア・アラブ共和国への入国を行った際に、「ビザ免除プログラム改定およびテロリスト渡航防止法」により米国入国時のESTAを利用した入国が不可となります。またこの旅行記中にある情報は断りのない限り2020年2月以前のものであり、現在の状況は大きく異なると予想されます。
※文章には筆者個人の偏見、勝手な予測、それらに伴う間違った情報、個人的な主義及び思想が出ることが予想されます。間違った情報に対する指摘や質問等がありましたらTwitter→@aka_ikura までお願いします。なお、主義思想に対する批判や未成年者の行動としての妥当性に関するコメントはお控えくださると幸いです。
※今回の記事は前回③からの続きになっています。初回の記事はこちらから、前回の記事はこちらから読めますので未読の方はそちらから読むことをお勧めします。
はじめに
気づけばもう帰国から一年以上が経過してしまった。
毎度毎度のことながら大変遅いペースでの投稿となりなにか交流がある度にnote更新お待ちしてます!と言われてしまうような自分だが今回もお付き合いいただきたく思う。
ここまでくると皆さんもここを長々と読むのにも飽きたのだろうし早速本文を進めていこう。
ダマスカスの五つ星ホテル
前回の最後に入口の写真だけ載せたホテルだが旧市街の端にあり大変立地の良いホテルだった。
なにより流石は五つ星なだけあってとにかく空間の使い方が贅沢なのだ。なんといったって建物内に自然に木が生えている。
↑写真が下手なのでホテル公式より拝借🙏
普段ドミトリーとかバスとか列車とかにばかり泊まっている自分からすると比較対象がないので、こういったホテルでの優劣がつけられないが、とにかくハード面においては大満足であった。
さてここまで書くとすべてにおいて満足かと思われるかもしれない。
少なくとも昼までの自分はそうだったが、この後の話はあとに置こうと思う。時勢がこの話の持つ重さを変えてしまったらしいからだ。
とにかくダマスカス観光の話に戻ろう。
ガイド氏との対面
シリア旅行には旅行会社からのパーミッションとガイドが必要不可欠だという話は①でしたが、このガイドとはホテルに到着直後に対面することになった。
会ってみるとガイド氏は身長が低めでふくよかな体型の方だった。
また(おそらく糖尿病を患っているのだろう)歩行ペースが遅く、一緒に歩いて隅々までの解説はしてくれなかったが、非常に流暢な英語のほかどうやらフランス語も話せるようであり、どことなく学者チックである。
後に伺ったところダマスカス大学の博士号持ちとのことで、私大学部生の自分はただただ尊敬するばかりだった。
シリアはとにかく検問だらけなのだが、通行証と同時に身分証を見せると「ディクトール」と言われていた。どうやら「Dr.?医者ね」と言われてしまうらしいどっかの国と違ってアカデミアへのリスペクトがあるようだ。
が、どっかの国と同じく文系博士の仕事探しは大変なようでもある。こうして極東から来たガキのガイドをしているのだから。
そしてこの博士ガイドは見てわかるキリスト教徒であり、事実ホテルを出てまず紹介したのは目の前にあった無名な教会であった。
このガイドの宗教が良くも悪くも今後の観光に関わってくる。
あまり詳しくないのに加えて紹介されたのが変哲のない教会のようであったために、どこの教会なんだろうと思っていた。(後に宗派に関しては真相が明らかになる。)
↑二日目夜に結婚式をしていた。
ダマスカス観光の開始
ホテルは旧市街の端にあったとしたが、とにかくダマスカス旧市街は区画整理も何もなく車の通行に向いていない。
ドライバーとはホテルで別れてしまい、最初はどこに歩いていくのだろうと思っていたが、すぐにタクシーを捕まえてくれた。
↑広場のナイスガイ。
ドライバーがいるならその人にお願いすればいいのに、という考えは先進国的発想である。
↑意識せずとも写ってくるくらいにダマスカス市内はとにかくタクシーが多い(後ろはイラン大使館)
自国経済が脆弱で人件費が安くインフレが急速に進むシリアでは、庶民によく利用し大量に競争相手のいるタクシーという交通手段がかなり安く利用できる。
この時は直線距離で3キロほどの混雑した道をちんたらと進んだが、料金は500シリア・ポンド(当時レートで約55円)であったのだ。確かにこれなら混んだ道をわざわざドライバー氏に頼むことはないなと感じた。(ただしこれは現地人料金であろうことは留意したい)
↑アジアで典型的な無秩序混み混み道路。
途中で唐突にガイド氏が説明を始めた。なんだと思いつつ聞きながら外を見るとかの有名なヒジャーズ駅であった。
かつてはここからメディナやバグダッドまで鉄道で行けたというあの駅が目の前にあった。実際にはしばらく前に郊外駅に機能を移して鉄道駅ではなくなり、シリア鉄道自体も内戦によって鉄道は完全にストップしてしまう。
自分が訪問する半年前にホムスまで復旧したというニュースを見たが、それでも定期運行はしていないようで乗車したいというリクエストは断られてしまった。
ともあれ最初についたのはテッケ・モスク前であった。正確にはこんな感じの発音だったかな~くらいのものなので間違っている可能性が高い。というのも真の目的地はここではないからだ。
↑手前にあったどうしたらここまでぼろぼろにできるんだと思える中国製バス。
旅行社側から渡航前にリクエストがあったら気軽に言ってくれ、ということでトリッ〇アドバイザーで軽く調べた際、市内に軍事博物館があるとのことであった。
非常にニワカなので恥ずかしいが軍事兵器に興味があり、さらに口コミに大統領の金ぴか銅像があるとあったために即座にリクエストしたが、返信にはすでに閉鎖されているとのことであった。
しかしそこには有名なお土産街があるし、なにより考古博物館の隣だと聞き、せっかくの機会なので行ってみることにしたのだ。まあ軍事要素も金ぴか大統領もなかったのだがアサド政権を知る上でいい勉強になった。
まず言っておくと軍事博物館をあの政権がただ閉鎖しただけのわけがなく、郊外に大規模な軍事博物館を建設中らしい。
ロシアの援助があるらしく、広い博物館ができるぞ!と言っていたので8割型モスクワ郊外のパトリオットパークみたいになるのだろう。流石に施設内移動にバスが走るあそこほどではないだろうが少し気になるところだ。
↑パトリオットパークは洒落た感じで、展示品が旧クビンカ博物館から移設されているがとにかく広すぎる博物館である。
それはともかく当のモスクだが閉鎖され誰もいなかったのだ。
↑隙間から撮ったので写ってないが手前に柵があった。
ここ本当に現役のモスクなの?と思っていたところガイドが説明してくれた。
なんでもそれによると金曜日以外は閉鎖しているとのことだった。なんてもったいないんだと思いつつなにか理由があるの?と聞くと、政府の政策により、一部モスクは金曜以外の日は閉ざされているという。
ここは本当に「中東」なのかと思いつつ入れぬ不気味なモスクの写真を撮った。
↑鶏だけが行き来していた。個人的に家畜としてもペットとしても鶏が好き😍
そしてお土産屋であるが、有名な寄木細工の店が並んでいた。
↑シャッターがちらほら目立つ。今はどうなっているんだろうか。
↑三色の国旗が気になる写真達だが、ダマスカス市内でロシアワッペンをした軍人がいるなどロシアの影響が沖縄のアメリカ並みに大きいため、シリア観光の際はロシア探しをしても面白いかもしれない。(嫌でも目に入る)
まあせっかくなのでと店に入ると店員がセールスをしてきた。
「この美しい品本当は8000ポンドだけど今だけ特別に6000ポンドだ!」
なるほど一般的なアジア人観光客に向いてそうな文句だ。
自分がそれと全く違うということではない。
ただアラビア語で3500と書いてさえいなかったら、もうちょっと真剣に考えただろう。「帰るのか?なら5000、いや4500!ラストプライス!」じゃねえんだよ。
何も買わず店を出た。
↑なぜかあったクアラルンプールのツインタワー
国立考古学博物館
前述の通り博物館はすぐ隣であり、門まで博物館の壁沿いに少し歩いた。
するとかかっていたボードの一つにjapaneseとあるのにふと気付いた。
無知なため知らなかったが、少し昔に日本とシリアの共同チームが北部のデデリエ洞窟での発掘調査でネアンデルタール人の幼児骨格を発掘していたらしい。
少し行ってみたいと思ったが、位置を調べてみたら「侵略者共」が「不当に占拠する」地域に近く、行くのはしばらく厳しそうだ。
↑旧宗主国のフランス要素は非常に薄いシリアだがここにはフランス語があった。
ともあれ入口につき、すでにガイド氏が買ってあったチケットで入場した。
まず門を抜けると野外展示エリアだ。
おそらく本物と思われる遺物たちが野ざらしで大量にゴロゴロしているが基本的に雑である。
↑なんか国旗が掲揚されているな~と写真を撮ったが後々調べるとこのライオン、あのパルミラでISに破壊された遺跡の生き残りを修復したものだということが判明した。
お前そんな「現代的」な遺物だったんか・・・。相変わらず外だけど。
↑これなんかひどい。明らかに逆なんだが誰も気にしなかったのだろうか。
さてそろそろ屋内展示を、と行ってみるとなんと立派な入口である。
話によるとウマイヤ朝時代の宮殿跡の遺物をそのまま再建したらしい。通りで色がちぐはぐなわけだが、博物館の顔たる入口が展示品というその雄大さには圧巻されてしまった。
さて館内は今時珍しくスマホ撮影も禁止というものであったが、最大の問題はそこではなく博物館の第二言語がロシア語なことである。
↑ギリギリ許されたエルミタージュ美術館との提携の紹介。
どうやら博物館にもロシア資金が投入されているらしいが、まさかシリアで読めないアラビア語の補足をロシア語でやられるとは思わなかった。ロシア語はキリル文字の発音しかできないので、固有名詞でしか認識できなかったのが大変悔やまれる。
フランス語ならまだしもロシア語併記は普通思いつかないだろ。
さらに不幸は続いた。なんとローマ以降の展示は改修工事中なので見られないという。え、イスラームが来ないままおわるんですか?となりながら外に出ざるを得なくなってしまった。
ガイド氏曰く夏になったら完成するから是非また来てくれ。とのことだったがその後の情勢考えると一体完成したのか怪しいところである。
(てかよく考えたら足場とかあるような工事現場すれすれに客入れんな)
↑重ねるな。
↑当然「完全なシリア」である。
終わりに
本当はこの後ウマイヤドモスクや鬱になりだす等あったのだが、流石にそこまで書いていたらいつになったら出せるかわからない。そこで申し訳ないがとりあえずこれで一区切りとした。
次回はダマスカス観光後半となるが、いつも通り期待せずお待ちいただければと思う。
お詫びとしてはアレだがダマスカスの象徴、カシオン山の写真で締めることにした。
↑アンテナだらけだ。
ー『ヒストリエ』の新刊よりは先に完結させたいー
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