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〜18歳シリアに行く〜準備編①


諸注意

※この文章はシリア・アラブ共和国への渡航を推奨するものではありません。情報を収集した上ご自身の責任で渡航される事をおすすめします。

※現在、今後シリア・アラブ共和国への入国を行った際に、「ビザ免除プログラム改定およびテロリスト渡航防止法」により米国入国時のESTAを利用した入国が不可となります。

※今回から書く文章には筆者個人の偏見、勝手な予測、それらに伴う間違った情報、個人的な主義及び思想が出ることが予想されます。間違った情報に対する指摘や質問等がありましたらTwitter→@aka_ikura までお願いします。なお、主義思想に対する批判や未成年者の行動としての妥当性に関するコメントはお控えくださると幸いです。

※投稿者の性格やこういった形式に不慣れなこともあり冗長な文になるかと思いますがよろしくお願いします🙏



シリアとは何か


さて突然だが皆さんはシリアと聞いて何を思い浮かべるだろうか?


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内戦、独裁政権、アサド、自由シリア軍、ヌスラ戦線、イスラム国、アレッポの石鹸、オリエント世界、フランス、セレウコス朝、十字軍、イスラーム教、シリア料理・・・正直に言って渡航予定前の自分はこんな感じだったかと記憶している。

特に同世代付近においてはどちらかというと悪いイメージが多いのではないかと思う。自分もその1人だった。

何しろシリアがニュースに出てくる時というのは、すなわち内戦に関する悪いニュースであった。10歳になるかどうかごろに始まった内戦により、自己におけるシリアという国の第一印象が固まってしまっていたのだ。

(また「そういう」子供だったので動画共有サイトなどでISISちゃんや公式チャンネルなどといったものを見て笑う、恥ずかしい中学時代も記憶している)

ただし、知り合いから聞く自分の生まれる前の20世紀、中東一平和と言われていた(らしい)シリア旅行の話はとても興味深いものであり、個人旅行をするようになる以前から憧れる、そんな国でもあった。





シリア渡航のきっかけ


では何故そんなシリアへ行くことになったのだろうか。


率直に言うと知り合いからのお誘いである。

夏休みが終わり(中東欧旅行をし、場所柄かトラブルもなく大変満足できた)、Twitterで知り合った旅行好きの方々の飲み会に参加していた(※飲酒はしていない)時だった。

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※イメージ

そこで毎度恒例の、次の旅行先でおすすめな場所がないかという話の流れで同席のY氏から「赤いくらさん、シリア行きたくないですか?」と直球な提案をされた。これが事の始まりとなる。

その頃の自分は夏旅行を終え満足感に浸っていた事もあり、来たる春休みの旅行プランを全く練っておらず、行きたい場所リスト(約20ほど)の中から予算と時期を考える段階にすら立っていなかった。
そのため興味は以前からあったものの、「大学在学中に行ければいいかな、危なそうだしそういう国の旅行はどうせ高いんだろう」などと最初は聞きながら思っていた。

しかし、その後Y氏による情報提供で口コミやツアー会社の料金案内を見るうちに「あれ?予想より簡単に行けるな!」となっていったのだ。また、その頃にはレバノンとイラン、キプロス、クルドイラクと言った周辺国へ行く方法やおすすめスポットを収集しつつあった事もこれに弾みをつける形となり、一気に具現化していく。




これでよし行くか!決まり!とならないのがシリアであり自分であった。


まずシリア渡航は投稿者が渡航した2020年2月現在、旅行者単独での観光が禁止されている。具体的にはシリア渡航にはシリア政府に認められた団体を通じてのパーミッションの発行が必要であり、入国後もガイドをつけることが義務付けられている。
ぶっちゃけシリアはイメージ通り?観光に不自由な国なのだ。(しかし、後述するがソ連や朝鮮旅行経験者に聞くようなレベルでガチガチなものではなかった。)

ただし、観光が不自由というのは個人的に、それを体験すること自体がその政体に触れることに繋がると思っている人なので、これは障壁どころか監視体制を肌で体験できる嬉しいおまけ付き!みたいなものである。

真に問題なことは別にあった。この旅行社での予約とガイドの付帯義務というのはすなわちその人件費や手数料分の必要旅行費用の増大を意味する。財政状況があまりよろしくない大学生としてはこちらの方が断然大きかった。


この解決法というか緩和法は現時点では2つしかない。安い旅行社を見つけることと、同行者を見つけて複数人で行動することだ。

安い旅行社というのは文字通りである。これに関してはY氏に教えてもらい、プランが豊富でそこの口コミがとても良いこともありそこに決めた。

そして同行者を見つけるというのは、こういったガイド付帯義務の国に行ったもしくは行く事を考えたことのある人は説明の必要がないだろうが、ガイドやドライバーはツアー参加者が1人でも3人でも人数は変わらず、ホテルの料金システム的にも参加人数が増えるほど重複分が出るため、1人当たり料金が安くなっていくのだ。

シリアでの一例を挙げると1人参加だと1100$のツアーは3人だと計2100$、1人700$まで安くなる。この差額は個人的にかなりでかい金額だと感じる。道づれ、、もとい同行者がいればかなり得ということだ。



これでよし行こうぜ!そこの君!とならないのがシリアであり自分だった。


まずシリアは曲がりなりにも外務省渡航レベル4の国であり、そう気軽に誘える国でないし、自分は見知らぬ他人に声をかけられるような性格でもなかった。提案してくださったY氏も春休みは予定があり旅行自体に行けないとの事で、今回は諦めてレバノンやイランに専念するか、もしくは高い金をどうにか払うしかないな・・・と思っていたその時であった。



事前に呟いていたイランへの渡航について、現地集合解散で一時同行しませんか?というメッセージがTwitterでFFのT氏から突然来たのだ。

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完全に同年代の大学生の方(直後に同じ大学と判明する)ということや、何より同じ匂いのする人であることもありイラン渡航に関しては即座に歓迎の意思を示し、できる範囲で同行することとなった。

しかし、ここでふと思ってしまったのである。



これシリア紹介したら同行者になってくれんじゃね???

冗談混じりに誘ってみた。


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果たして食いついてしまった。

ここで更にシリア渡航は加速することとなる。喜ばしいことにT氏は英語力に長けており旅行社への連絡役を引き受けてくれたばかりか、アラビア語も少し分かるとのこと、加えて友人にも声をかけてくれ、まさかのさらにもう1人同行者であるO氏が増えた。(実を言うと話の元であるイランは別々に行くことになっていったりする)



当時の自分にはもはや天啓のレベルのように見えたそれらの出来事を踏まえても、まだ心理的障壁はいくつかあった。


大きなものだとESTAが使用不可になる点、そして当時イラン・レバノン情勢が不安定であった点の2つである。


しかしそれぞれ、ニューヨークへの安い航空券を発見したことにより西回り世界一周ルートでアメリカへ先に訪問し悔いを残さずに行けることが決まったことと、中東諸国を巡る上で情勢不安定を理由にしてはほぼ永遠に行けないという現実を理解することにより解決した。



関係のないシリア以外のルートに関しての意図やその経緯を省略すると、最終的に

出国→香港→中国→アメリカ→イギリス→キプロス→レバノン(合流)→🇸🇾シリア🇸🇾→レバノン→イラク(解散)→イラン→クウェート→エチオピア→帰国

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↑中東部の予定していたルート(レバノンからのシリア往復略)

このような3週間半の恒例弾丸ルートが完成した。(後にあのようになるとは・・・)



シリア旅行予約


いよいよシリアツアーの予約である。

ただし前述の通り旅行社への連絡はT氏が引き受けてくれた為、予約に関して細かいことはわからないし知っていることを言ってもグダるので省くが、いくつか特色のあるエピソード?を紹介したい。


1つ目は大雑把な予約完了後にT氏があちら側より共有するよう頼まれたという文言についてだ。
そこには国境での出入国税(詳しくは後述する)についてや、料金の支払い方法等シリア旅行全般に際しての注意点が書かれていた。

しかしその中にこんな文章があったのだ。

「シリアは安全であり、シリア社会はとても平和主義的である。フェイクメディアの言うことを聞くな!(Syria is safe and Syrian society is very peaceful. Don’t listen to fake madia.)」

うーんこの🧐🤔🙄 



そして2つ目は同行者であるO氏についてだ。

シリア旅行の際必要な書類として英文の在学証明書を要求されたのだが、O氏の学部の欄の新聞学科にあたる部分が問題視されたのである。

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よくよく考えてみなくともジャーナリズム専攻です!入れてね!というノリでいくほど現状のシリア情勢は甘くないのだ。結局あちら側が書類をぼかし、シリアでは人文学科と名乗るということで解決した。(こういったものも含めてやはり所々緩いのもらしい)


これらを見て3人で面白がっていたのも今思えばいい思い出である。



渡航目的


後付け感たっぷりだが一応渡航前に目的としていたことを書いておく。

まず一番大きいのは馴染みのない政体を実体験することである。シリア人には失礼かもしれないが、シリアという一党独裁かつ親子の権力の世襲が行われ40年続く独裁国家とされているという国で、かつ多民族国家において宗教的少数派が実権を握り、その上内戦という国家非常事態にある国を内部から観察できるという機会はそうそうないように思われた。

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↑看板が強いが食堂である

さらに半ば付随する形になるが、にわかながらも軍事関係に興味があるためダマスカスにあるという軍事博物館でシリア製改造兵器の数々や、最大の援助国であるロシアの支援及びそれを示すようなものを見ることも目的であった。
もちろん、シリア料理やシリアの伝統についても関心があり、オリエントに浸りながら純粋な観光を楽しむ期待も膨らましていた。




区切り


さて、ここまで少々長くなってしまったが個人の性格とシリアという国の特殊性に免じて許していただきたい。

そしてまだ出国すらしていないがここで一旦区切りをつけ、次回に続けたい。もし続きが読みたいという奇特な方がいたとしても、次回が今月中に出ればいいなくらいに思ってもらえるとありがたい。

今回の旅行におけるシリア前後については前述のTwitterアカウントでつぶやいているのでそちらも是非!



次回!!! COVID-19! 旅程崩壊スタンバイ!







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