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~18歳シリアに行く~ダマスカス後編⑤




諸注意          ※この文章はシリア・アラブ共和国への渡航を推奨するものではありません。情報を収集した上ご自身の責任で渡航される事をおすすめします。



※現在、今後シリア・アラブ共和国への入国を行った際に、「ビザ免除プログラム改定およびテロリスト渡航防止法」により米国入国時のESTAを利用した入国が不可となります。またこの旅行記中にある情報は断りのない限り2020年2月以前のものであり、現在の状況は大きく異なると予想されます



※文章には筆者個人の偏見、勝手な予測、それらに伴う間違った情報、個人的な主義及び思想が出ることが予想されます。間違った情報に対する指摘や質問等がありましたらTwitter→@aka_ikura までお願いします。なお、主義思想に対する批判や未成年者の行動としての妥当性に関するコメントはお控えくださると幸いです。



※今回の記事は前回④からの続きになっています。初回の記事はこちらから、前回の記事はこちらから読めますので未読の方はそちらから読むことをお勧めします。



はじめに


毎回の事であるが、更新が遅く申し訳ない。肝心の旅行から1年半過ぎてしまい、もはやあの頃の記憶を新鮮ということはできないだろう。ただ記憶が色あせる速度は例年より格段に遅い1年半であった。


まさかこんなところで自由に旅行できないという、現在の状況がポジティブに働くとは思わなかったが、ともあれ今回扱うダマスカス観光について理解が深まれば幸いである。



前回は国立考古学博物館までで終わってしまったが、今回こそはダマスカス観光を終わらせていきたい。

その過程で精神が削られていく過程も観察できることだろう。




ウマイヤドモスクまで


国立考古学博物館からウマイヤドモスクまでは、2キロほどとそこそこ近い距離にある。

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↑ダマスカスシタデルまでなら1.6キロくらい



アラブ的道の悪さ通行人の妨害(いやまじでなんで感染症をからかうためによって来るんだこいつら)を含めても、45分はまずかからない距離であり、普段の観光ならまず間違いなく歩いていたであろう。 

しかし今回はガイド必須であることから、高い金(私比)だして雇った案内人がいる。


自分が海外でタクシーをなるべく使いたくない理由は、もちろんその金額もあるが、それ以上に疲れるのだ

タクシードライバーほど海外で信用できない職業もないだろう。(次点で自称ガイド)彼らは理由をつけて料金を吊り上げようとするし、配車アプリを使ったとしても、なりすまし、乗ったとたんにキャンセルしろだのとにかく金を不正に取ることしか考えていない集団だと考えた方がいい。



あまり関係ないドライバーへの愚痴はそこそこにして、とにかくガイド氏がタクシーを捕まえようとしてくれた。

しかし中々捕まらない。明らかに空車状態の黄色い目立つ車が、次々と通りすぎていく。

明確な乗車拒否である。減速するのだが、ある程度近づくと嘲笑うかのように加速して通りすぎていった。 


アジア人と足の悪そうな中年男性のペアなんか乗せてたまるかといったところなのだろう。街にタクシーがあふれかえるダマスカス中心部で15分近くタクシーを待つことになるとは思わなかった。


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↑まるでインドのカルカッタにでも走っていそうなバスである。


そこまで本数のなさげなバスまで見送ったところで、やっと止まってくれた初老のドライバーに感謝しつつ、ウマイヤドモスクの周囲にあるシリア最大のバザールである、アル=ハミディヤ・スークに到着した。





アル=ハミディヤ・スーク


そもそもこの名前自体、グーグルマップにあった名前を引用してきただけで、ガイド氏は「グランドバザール」と呼んでいた。この国で一番偉大で象徴的なバザールなので、そう呼ばれるのも当たり前だろう。


ここの特徴としては、金曜日を定休日としている点であろう。非イスラーム的な休日システムが機能するダマスカスでは数少ないところであるそうだ。

もちろん、日曜日に閉店する店も中にはあるらしく、自分が訪れた日(日曜日)にもシャッターのしまった店が散見された。


さて、自分たちはバザール入口から反対側の車線にいたため、バザールに入るために道を渡る必要があった。


しかし流石はグランドバザール、地下道で渡れるようになっている。(なんとなくカイロにも似たようなものがあった気がするのは元同一国家の名残なんだろうか)

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そして地下道を抜けると身体検査だ。これはそういった「特殊な情勢」だからといった事ではなく、以前から行われていることだと思う。別にシリアでなくとも、身体検査は当たり前だ(相変わらずザルだし)。



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ここで注目すべきは男女別になっているところだろうか。ボディーチェックがあるからという理由だろうが(日本でも分かれてたりするし)、どことなく、「ここからはアラブ的イスラームが支配するエリアだ」というような圧が存在するのを感じる関門であった。




バザールという施設を行ったことがない人に説明すると、中東式商店街というのが一番分かりやすいと思う。


夏に40度を超え、冬は冬でちゃんと寒い都市の多い中東では、屋根付きのバザールが多く存在している。(カイロのハン・ハリーリとかの例外はあるが)

ダマスカスの物も屋根付きであるが、特徴はその天井の高さと広さであろうか。まさに日本のアーケード付商店街と同じような光景が広がっている。

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そしてバザールは歴史あるモスクの周囲に形成されることが多く(というかそれ以外の弱小バザールは今は西洋的モールに代替されてしまった)、カイロならアズハルモスクがあるように、ダマスカスにはウマイヤドモスクがある。

今回はそこが目当てなのだが、周囲を囲むように存在するバザールも楽しまなくてはならないだろう。



まあここの差別がシリアで一番ひどかったと思う。

歩いていると、チンチョン!コロナ!と鳴き声をあげながら近づいてくる。しばらく無視していると、大抵の人間はつまらなそうな顔をして去っていくが、一部の○○○○は反応がないことに怒りだし、物理的な接触を図ってくる始末だ。

感染症を揶揄しに接触してくるとか本当にこいつらは人間なのか?と薄ら笑いをしていると去っていくが、ガイド氏はそれらの言動に反撃してくれていた。  本当にありがとう。


とこれから書くことはこのような環境下で観光していることを留意してほしい。何しろ後から見返してひどい写真だらけなのだ。(別にこれなくてもひどいけど)



とりあえず小腹が減っていたので、たまたま発見した屋台のクレープ的サムシングを食べてみることにした。

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流石中東、甘いもののレベルは高い


よくわからないものが何種類もかけられたクレープはモチモチで大変おいしく、何故かダマスカス以外のバザールで見ない屋台飯であった。


クレープうまいな~とモグモグしていると、ガイド氏がこっちのはもっといいぞと言いながら誘導してくれた。


白い物体が載ったプラスチックカップをもった人が多くなっていくな、と思っているうちに到着したようで、ガイド氏が自慢げにここで待ってるよと伝えてきた。



ここで気づいたが、噂には聞いていたこれがシリア1の有名店、Bakdashか!!

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↑もうちょっとどうにかなっただろって写真しかなかった。


Twitterに流れてきた信憑性ゼロのその国で一番古い企業は?という画像のシリアの欄にはこのお店の名前があった。そのくらいの超有名店だ。


ここのアイスはモチモチの濃いアイスにピスタチオをかけた激ウマアイスである。

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↑水槽のようにでかいアイス入れからひと掬いし、奥のタッパーに入ったピスタチオをかけていく流れ作業で対応していく。そのくらいじゃないと捌き切れないのだ。



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↑背景ってものを考えようよ、下着店の前で撮らんでもいいだろ。



2月当時の気温は10度台、アイスを食べるには寒いくらいだが、店は大変な賑わいを見せていた。内戦中であることを忘れるような喧噪がアイス屋にあったのだ。


もしダマスカス旅行をしたならまず行く店ではあろうが、取りこぼす人が現れないように、自分からも強くおすすめする。(クレープ屋台もうまいから是非!)





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↑シリアにもSuper dryはある様子。値段からして非正規品だろうが





ウマイヤドモスク



やっとたどり着いた。文句なしにダマスカス観光の大目玉たるスポットだろう。


ウマイヤドモスクは一般的にダマスカスのものを指すが、アレッポにも同じ名前のモスクが存在する。しかし、アレッポのウマイヤドモスクはシリア内戦のさなかミナレットが倒壊、未だに修復には至っていないようである。


余談はさておき、ダマスカスのウマイヤドモスクは内戦中にも修復不可能なほどの被害は被らず、今も内戦前と同じ姿を拝むことができる

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メインの入口からして、その造形に心惹かれることだろう。(曇ってたのが残念)



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↑写真が悪くて申し訳ないが、入口付近にあるボロボロの壁はローマ支配時にキリスト教会としてここにあった当初の壁がそのまま残っているものらしい。



最近モスクになり話題になったイスタンブールのアヤ・ソフィアのように、でかいモスクというものは往々にしてイスラーム以前の祈りの場を転用するケースがある。

ウマイヤドモスクもその例にもれず、古くはメソポタミア文明のハダト(イシュクル)神の神殿があったという。その後も幾多の変遷を経て、現在までのダマスカスの歴史を象徴する建物なのである。


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さてそんなこんなで入場していくが、早速中庭へ、とはいかずにまずはに向かった。



ウマイヤドモスクにはアラブ世界の英雄にしてアイユーブ朝の始祖であるサラーフ・アディーンの墓があるのだ。(はいそこクルド人とか言わない)

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あのサラディンの墓だからか、こじんまりとしたものだが専用の建物が存在する。


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↑外国人入場料が存在するが、インフレのせいで55円とかいう金額だ。(大抵の観光地は500シリアポンドで入れる)



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↑それはそうとこのランプ好き


そしてこれがサラディンの墓だという

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墓には黒い布がかかっている、のはいいんだけど英語の説明文を刺繡するのは違うと思う。


説明版に英語の説明文があるだけにダサい感じがしちゃうんだけど、現地人はこれにどう思っているんだろうか。(英語版Wikipedia見た感じ前は緑色のカバーだったみたい)



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↑カバーがかかっていない方の棺


隣にも棺みたいな物体あるからだれか他にもいるんかなと思ったけど、なんとびっくり、ヴィルヘルム2世からサラディンへのプレゼントだという。

時代が違いすぎるけど、それだけアラブ、欧州で有名な存在ということだろう。確かにキリスト教的世界観でもサラディンだけ悪役感ないもんな。



(あとここのおじさんが静かにしてほしいってのに無理やり「ここはサラディンの墓で~」とか読めばわかるってレベルのことを話してきてバクシーシ要求してきたのはゴミ)



そんなこんなもありつつ外に出るとテュルクっぽい墓が三つあった。


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↑結構ボロボロ

どうやらオスマン帝国時代に活躍した飛行士たちの墓らしい。ダマスカスでオスマン帝国~って感じの施設はそんなにないのでまじまじと見てしまった。




ではいよいよモスクの中に入っていこう。もちろん土足は禁止で玄関にある下駄箱に靴を入れるかその辺においておく。


じゅうたんが敷かれた建物内を抜けていくと・・・


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おお~これだよこれ!もとめていたのはこれだよ!!


本当に綺麗で、今までシリアを紹介するものの正面を張っていたその姿が、目の前に現れた感動はとてつもないものがある。

これ見るために30万も突っ込んでるの本当にコスパ悪い趣味なのはわかるんだけど、この興奮には激しい中毒性があるからやめられない。



そしてこのモスクのすごいところは、どこにも手を抜いてないところ

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柱とか壁にも黄金のモザイクがきらめいているし、

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特にこのモザイクの地中海沿岸感はヤバい。(語彙力喪失)


もちろん中も見事で、トルコ式とは違うんだ!というプライドさえ感じる(写真が終わってるが)

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↑ひょえ〜って感じ




前述の通り外にはサラディンの墓があるが、中には洗礼者ヨハネの聖体(首)がまつられた墓が存在する。

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洗礼者ヨハネはキリスト教での地位はもちろん、イスラーム教においても預言者の地位が与えられているために、両者にとっての聖地となっている。


なんでも、キリストが終末の日に復活するのがここなのだとか。(ガイド氏は馬鹿話のように教えてくれた)



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↑アラブ人観光客も記念撮影をしている。



とまあこんな感じだったが、この箇所に関していえば、キリスト教徒のガイドは正直外れだと思う。洗礼者ヨハネのところ以外ろくな説明もうけず、そそくさと退場することになった。


ただ、内戦によりスンナ派過激派が、彼らキリスト教徒達に与えた破壊と殺戮を考えると、特に不満を示すことにも至りようがなかった

それにここのマイナスは次の日の観光で挽回されることになるのだった。




ウマイヤドモスクの後は再びバザール観光の再開である。


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↑漢字絶対読めないだろ



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↑こういうの好き


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↑大好き♡


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↑アサドとプーチンとかいう独裁者ハッピーセット(国民はアンハッピー)やめろ



こんな写真を撮りながらも、前述の攻撃により精神はかなりおかしくなっていた


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↑ガイド氏に夜ご飯を食べた後ここでコーヒーを飲むのがおすすめだよ、と言われた有名店だが、お茶派なのと早くホテルという安地で安らぎたいという思いで行かなかった。





観光終了と疑心暗鬼


日が沈みすっかり暗くなった頃、ホテルの前でガイド氏とお別れとなった。

同じくガイド・パーミッションが必須な朝鮮と違い、個人行動も全く問題がないようだ。といっても市外に出るにはすべての人間に通行証が必要なのだが。


いつもならバザールをグルグルするのだろうが、当時の自分は精神が死んでいたので近くのケバブ屋でドネルケバブを購入、商店でジュースを購入してホテルに戻った。

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↑かなりうまいケバブだった。生地がとにかく美味しかった記憶がある。



やっと安地に着いたと、ホテル内のベンチ(中庭にベンチもあった)でチャイを飲んでいたら、あの「コロナ!」という声が聞こえてきた。

さすがに幻覚だろう、なんせ一泊100$の高級ホテルだぞと思ったが、ニタニタ笑った従業員がこっちを見ていた


ここで最後の糸が切れてしまったのだと思う。


これ以来自分を見る目すべてが怖くなり、ガイド氏に至ってもどうせ内心馬鹿にしてるに違いないと思いこみ疑心暗鬼になっていった



統合失調症とはこんな日常を送ることなんだろうと思ったし、少数派への理解はさらに深まり、自らの価値観の方向性が変化したと考えれば良い経験だったのかもしれない。


他人の価値観を捻じ曲げるに至らしめた彼は元気にしているのだろうか。 今もその人間性が不憫でならない。


ともあれチャイは最高だった。

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おわりに


今回は皆さんが求めるような「旅行記」であった部分と、自らの鬱憤を吐き出すような部分とでわかれてしまったと思う。

しかし、個人の書くnoteであるからこそ、包み隠さずなるべく全てを書き残しておきたいのだ。

こんな個人のわがままにつきあってくれた読者諸氏に感謝するとともにできる限り次回も更新したい。


幸い?「ヒストリエ」の新刊は出ていないどころか、発売日すら公表されていないので出る前に完結させたいと思う。(絶対完結しないだろ)



次回、クラク・デ・シュヴァリエ







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