「きれいごと」しか上手くいかない。
「きれいごと」しか上手くいかない。
私の中ではすっかり当たり前になっていたことですが、先日のあるイベントの集まりがあった時に、ある方からこんな言葉を聞くことになりました。
「結局きれいごとにしか聞こえない」
この言葉を聞いたときの感覚をどう説明してよいのか難しのですが、「あ~やっぱり見方が違う人がいるんだぁ」という感じで、それ以上わかり合うことは難しいだろうとさえ思ってしまったのです。
■「きれいごとにしか聞こえない」
綺麗事(キレイゴト)意味:
1.表面だけを立派にとりつくろうこと。見せかけや口先だけ体裁を整えていること。
「もはや綺麗事では済まされない」「綺麗事を並べる」
2.手際よく美しく仕上げた仕事
3.よごれないですむ仕事。
おそらくその方は1番の意味でつかったのだと思います。
私はきれいごとの意味を2.3で捉えていて、よごれず美しく三方良しの事柄だけが上手くいくと学びました。
そして「きれいごとだけで生きる」ということを、自分自身のポリシーにもしています。
ですが1の意味できれいごとを捉える人は、それを信じることができずに、「理想と現実は違う」「現実はもっと厳しく汚いものだ」「綺麗なことばかりでは上手くいくわけがない」と捉えていると思うのです。
【価値感の違い】といってしまえばそれまでなのですが、なんだかとても寂しい気持にもなりました。
だって理想を持つこと、理想を語ることでしか、人は物事を動かしていけないと思うから。。。
人を動かす本当の動機は、全て純粋で綺麗なもので、誰かの役に立つものでしかない。
きれいごとでしかないと思うから。。。
結局はきれいごとでなければ、人は続けることができないと思うのです。
それを否定してしまうことは、純粋で綺麗な想いや、情熱を打ち消してしまうことになると思ったから。。。
もし自分の子どもに「きれいごと」の言葉の意味を教えるなら、どんな意味だと伝えたいですか?
「誰もが幸せになれること」?
それとも「ただの理想」?
■きれごとが世の中を良くしていく
実際にビジネスに置き換えたときに、これは本質を突いていると思います。
「三方良し」という言葉がありますが、誰にとっても利益となることは繁栄していかないわけがないのです。
人に見せられないようなよごれた仕事(悪いことややましいことという意味)はもちろん、自分にとってだけの利益や、相手だけの利益を考えることは「きれいごと」とは言えないと思うのです。
だから私は、自分も相手も社会も良くなっていく、「きれいごと」でなければ上手くいくわけがないと信じています。
私の周りの友人や仲間はこの感覚を当たり前のように持っていますが、「そんな都合の良いことが上手くいくはずがない」「誰かが幸せになるためには誰かが犠牲にならなければならない」と、上手い話を信じられない人もいるのだと思います。
個人レベルの活動、ビジネス、ボランティア活動、すべて三法良しの「きれいごと」しか継続しないし、上手くまわっていない。
この考え方を持てることは、ある意味幸せで同じ感覚を持つ人たちとも繋がりやすいのだと思います。
私は改めて、これからも「きれいごとだけで生きる」をポリシーに、同じ感覚を持つ人たちと繋がり続けていきたいと思うのでした。
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