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スマホに支配されている。

ラーメンが好きで、週1でどこかしらのお店に行っているのでは、と思うペースで食べている。
大抵おひとり様で行くので、カウンター席に通される。食券を渡して、待っている間、スマホでSNSなんかを見つつ時間潰し。
そうこうしていると、カウンター越しにドンっ、と置かれる一杯のラーメン。受け取り、1枚だけ写真を撮ったら、しばらくそこでスマホの出番は無し。ポケットにしまう。

黙々と食べ進めていると、どうしても視界に入ってしまう隣の席の客。
ラーメンを食べる手を止めて、スマホゲームに夢中。オートで戦闘が進む場面になり、スマホから箸に持ち替えて一口二口食べ始めたかと思いきや、またスマホに持ち替えゲームを進める。クエストクリアで、さすがにここでやめるだろうと思ったら、まさかの2戦目へ。
丼の中の麺はとっくにのびきっている。なんならアンタ俺より先に注文出てきてたやろ、と思っていたら、自分のほうが先に食べ終わってしまい、店をあとにした。


また別の日。違うお店に入った。今度もカウンター席。しかも曲がり角になっているところ。
丼が差し出される。野菜を増したのは、今の胃のキャパ的にちょっときつかったか…?でも自分からオーダーしたなら食べきるのが筋というもの。
そんなことを考えていると、曲がり角の向こう側にいる客が視界に入った。
ラーメンは食べかけで置いたまま、スマホの画面をスクロールしている。
やたら画面に見入っているご様子だけど、ラーメンを食べたくて入った店内で、ラーメン以上に興味を惹かれるモノがあるって、ちょっと変じゃない?
またもや、後から入店した自分のほうが先に食べ終え、店をあとにした。
近頃ずっと感じ続けていた、「?」で頭がいっぱいになりながら。


みんな、そんなにスマホが大事なのかな??

ソシャゲのイベント、LINEやSNSでの返信、好きな芸能人の生配信…
確かにどれも大事だし、欠かせないことだと思う。
でも、でもさ、一旦それは置いとこうよ!まず目の前のラーメン!完食してからでもよくない??
こういう光景はラーメン屋に限らず、牛丼屋、ファミレス、あとは勤め先の社員食堂でも、幾度となく目にしてきた。
だけどやっぱり、作ってくれた人がすぐ近くで見ていて、放置による劣化が早い(麺がのびる)ということで、ラーメン屋での光景が最も印象的だ。
自分が店員の立場だったら、そんな風に食事をされて、かつ、お残しでもされようものなら(実際、そういうケースもかなり多い気がする)かなり精神にくると思うし、そいつの頭上からでっかい丼で「伏せ丼」して、永久に閉じ込めてもお釣りがくるぐらいだと思っている。
「忍たま乱太郎」の食堂のおばちゃんと同じくらい、「食べ物を残される」ことが耐え難い。


食事の場に限らず、他にも映画の上映中だったり。
まだまだある気がするし、即座に全てを挙げられないけど、スマホを手離すべき場面で、スマホを操作している人がかなり多い気がするのだ。

スマホに「依存している」と言うと、人間の意志でスマホに寄り添っているニュアンスになるので
ここでは、スマホに「支配されている」と表現するのが適切かなと思う。
そもそも、今スマホを手離すべきことにすら気づけていない。

まずは目の前にある食事を、映画を、楽しみませんか?
ゲームしたり、SNSを見たりするの、後からじゃそんなに遅いですか?致命的ですか??(緊急事態もあると思うので、一旦それは除く)
ゲームのランキングが1下がると、その首輪が爆発でもするんですか?
「既読」を1分以上放置してはいけない呪いにでもかけられているんですか???


何故、普段よりこんな毒っ気多めかというと
何を隠そう自分自身も、「スマホ支配」される可能性をはらんでいるからだ。
自戒を込めてこの文章を書いているからこそ、つい当たりが強くなってしまう。

流石にラーメンそっちのけでスマホを操作することはないけど、やはりインターネット黎明期で生まれ育った世代。
イベント時は、ゲームのクエストを1回でも多く進めておきたい気持ちも、SNSに投稿した内容へのリアクションが気になって、つい確認したくなる気持ちも、痛いほど分かるのだ。
学生時代に、それなりにスマホゲームをやりこんで飽きがきたおかげで、ソシャゲに関しては近頃その気持ちは無くなったけど、SNSに関しては、未だにこういう気持ちがあるなぁ、という自覚がある。
読書や筋トレをしている途中で、ちょっとだけ…と思ってスマホを開いて、気づいたらリアクションを待つかのように、だいぶ長いことタイムラインに滞在してしまった…ということが結構ある。
スープを吸いきってぶよぶよになった麺には一瞥もくれず、スマホを操作する自分になっているのも、そう遠くないのかもしれない。


なにも、SNSの確認や、ゲームをすること自体が悪いのではなく、他のことをやっている途中にスマホを操作して、結果何もかも中途半端になってしまうのが、「スマホ支配」の本当の怖さだと思う。

ラーメンを食べる手を止めてゲームするにしても、頭の片隅に
「早く終わらせないと、ラーメンがのびていく」という焦燥感は、確実にあるはずなのだ。
そんな状況でゲームしても、集中できず、100%のスコアや戦績は得られないんじゃないだろうか。
挙句、クエスト後に目の前に残るのはのびのびのラーメン。
「美味しいお店」と聞いて入店したのかもしれないけど、これじゃああまりにも残念である。その一杯の良さを堪能できない。

映画館でLINEの返信をするにしても、「後ろの席の人、この画面の眩しさのせいで集中できないんじゃないか」という、一抹の後ろめたさはあると思うし、それでは心から会話も楽しめていないはず。
当然、映画の内容もあんまり頭に入らない。「毎週水曜日はチケット代が1,000円に値下がり!」というもんだから来てみたけど、その1,000円すらドブに捨ててしまう。


だから、ラーメン屋では麺をすすることに集中する!映画を観るときは全力で観る!…それと同じくらい、スマホを弄る時は、全力で弄る!!と、メリハリをつけることが肝心だと思う。
ゲームのスタミナは必ず使い切るまでプレイして、これからの用事が終わるまでは触らなくてもいい状態にしておく。LINEの未読が5,000件ぐらい溜まっていても、全て一度に返信する。
SNSでは、それまでにずっと考えに考えて貯め込んでいた投稿を、惜しげもなく放出する。その後は他のことは一切、飲食や睡眠すら何もせず、どんな反応がくるのか待ち構える。


情報化が進んで、あらゆる情報にアクセスし易くなった反面、情報にアクセスしたがる気持ちを抑えられなくなったことが、「スマホ支配」の根底にある気がする。
だけど、それ以外に生活に必要なものもたくさんある。先程例に挙げた、読書や筋トレだって、教養を養ったり、健全な肉体を維持したりするために必要なのだ。それらが中途半端に、蔑ろになることが何よりも怖い。五角形のレーダーチャートのうち、「スマホ」の能力だけ尖っている自分になってしまう。
「『スマホを操作する自分』を操作」してあげることに、スマホに支配されず、健全に情報化社会を生きていくためのカギがある気がしている。


…という文章も、時折噴出しかける、スマホが気になる自分の気持ちを押し殺して書き上げたものです。
ここからは、どんなリアクションがくるか待ち構えさせていただきますわよ!
さーて「スキ」を押してくれたり、フォローしてくれたりする人は現れてくれるかなー?????
(実際、「note」始めたてで、親しい方もほとんどいないので
そういうリアクションを頂けるの、本当に有難いです…)

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