周囲のとやかくうるさい人が辛い時には
私の娘たちが幼稚園から小学生の頃、家での勉強方法や普段の過ごし方までしつこく何回も聞いてくるママ友がいた。
ただ参考にしたくて聞いてくるならいいが、ちょっと興味本位な感じもあり噂話のネタにされそうな感覚もあって嫌だった。
他にも子育てに色々と意見してくる先生もいて、初めは真面目に応対していたが、だんだんちょっとつらくなって困ったことがあった。
その経験から私が身につけたのは
「受け入れる」と「受け流す」を上手に使いわけて生きていこう!ということだった。
2つの違いのイメージは
私にぶつかって
ザザーっと下に落ちて流れていくのが
「受け流す」
私のところに来たら
自らOKを出して私の中に入れるのが
「受け入れる」
要は
私の中に入れるのか入れないのか、自分で決められるという意識を持つことだ。
誰彼構わずにドアを開けなくてもいい。
…でも
言うは易し行うは難し。
相手に嫌われたくない。
関係を悪くしたくない。
変な空気を作りたくない。
子どもがいじめられたらどうしよう。
…そう思うと、私だって嫌なことも受け入れてしまうだろう。
そんなに簡単に強くもなれない。
まあそれでもいいと思う。
というか、そういう時があってもいい。
徐々にうまくかわせるようになればいいのだから。
初めからなんでも白黒つけられるほど人間は賢くできていない。
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嫌な言葉をやんわりとうまく受け流せた時。
私はかなりの達成感があった。
同時になんだか自分に自信が持てたし、相手にコントロールされずに済むんだ!という安心感も生まれた。
大げさかもしれないけれど、自由になった気もした。
それで孤独になることもなかった。
孤独は意識の問題でもある。
よーく考えて思いを巡らせれば、私の周りにはどこかに誰かが必ずいる。
受け入れられなかったことで意味不明な仲間外れなんかをしてくるやつは、たいがい他の人にもうんざりされている。
他の人からも「実は私も同じような嫌な目にあっていた」という声があがることになるのは時間の問題だと思う。
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私は自分の好きなことや好きなもの、好きな人に囲まれて生きる未来のために、少しずつ受け入れたり受け流したりしながら選択していく練習をしてきたことは、けして無駄ではなかったと思う。
そして、そんな私の意思表示のもとに育った娘たちは、とてもいい大人になっていると思う。
(親バカの一言で締めくくってしまい大変申し訳ありません)