PMとして「考える」とはどういうことか

PMとして考える、とは

PMに限らず、多くの仕事にとって考えることが重要という話に異論を唱える人はいないと思う。

PMとして「考える」というのは多くの場合プロダクトに関する意思決定をした後をシミュレーションすることであろうと考える。具体的には、プロダクトをローンチしたら誰がいくらで買ってくれるか、どのような価値を感じてもらえるか、開発しきれるだろうか、等である。

何を以て「考えきった」と言えるか

これを更に深堀りしてみる。例えばプロダクトを拡張し、よりよい体験を提供しようと考えるとして、何を以て「考えきった」「熟慮を尽くした」ことになるだろうか。私が好むのはリスク管理の考え方である。

上記書籍で、船主の話が出てくる。ある船主は自身の船が沈没するリスクを認識しながら出航を決断した。この場合、船主の責任に対して2つの考え方がある。

1. 結果責任:リスクを認識していたかどうかに関わらず、沈没しなければOK

2. 説明責任:リスクを認識していた時点で、然るべき緩和策・回避策を講じていればOK。講じて無ければ沈没しようがしまいがOUT。

リスク管理の要件としては、2の説明責任を用いている。ビジネス自体は結果責任だが、その意思決定は説明責任で考えるべき(でないと不確実性のある意思決定が行えず、ビジネス自体が沈没する)とされている。

PMとして「考える」ということも、この説明責任を果たすことにほかならないではないだろうか。万が一だめだった場合に、ユーザー、事業責任者、エンジニア、QA、デザイナー等の方々に「熟慮を尽くして実行したのですが、ダメでした」と胸を張ってプレゼンできるなら、それが「考えきった」ということなのだと思う。

そして多くの場合、ここまで胸を張れる機会は少ない。常にある種の後ろめたさ、自分の至らなさを感じながら意思決定をすることも多い。なので基本的には全責任はPMが取るしかない。難しい立場である。

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