記憶と綱引き

あれ言われて嫌だったなーとか、
あれはどういう意味で言ったんだろうとか
よく思うことがあります。

それと同時に、
なんであんなこと言っちゃったんだろうとか、
あれは相手を傷つけてしまったなとか
自分がしてしまった行為について考えて、
どうしようもなく嫌いになってしまいます。

「やった方は忘れるけど、やられた方はいつまでも覚えている。」
私はやった方だということに気づく時、きっといつまで経っても覚えているような気がします。
ただ、自分がやった方かどうかって自分の判断でしかなくて、もしかしたらそれ以上に、自分でも気づかずうちに誰かのことを傷つけてしまっているのだと思うとなんて奴なんだと押し潰されてしまいそうです。

相手を傷つけずにしっかりと考えて発言したいけれど、それをするには自分の能力が足りず話についていけなくなってしまう。

それでまた人と打ち解けることができず、自己嫌悪に陥る。

だから、書くことが好きなのです。
上手いか下手かは別として書くことは、言葉をしっかりと選んで何度も書き直したり、考えながら自己表現することができる。

人と話すよりも、文通のような形で人と繋がりたいとどうしても思ってしまいます。
これは逃げているんですかね。
自分ができないからって、人から好かれたいからって、逃げているんです。きっと。
その感情は別に間違いだとは思っていないけれど、いつまで経っても被害者ヅラなような気がして。
過去に辛いことがあったからって、過去は過去と区別していたい。
浸っていたくないな。

記憶に引っ張られて、現実に入れない。

もしかしたら、この文を読んで誰かを傷つけてしまっているかも知れません。


私の中にいる得体の知れない不吉な塊へ。

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