こどもの一生といじめの記憶

コロナ禍以降、すっかり手元に本が無いと電車に乗れない人間になってしまった。
本は良い。知らぬ世界を教えてくれる。自分を別の空間に誘ってくれる。
通勤という憂鬱なその時間を楽しみに変えてくれる、とても大切な習慣となっている。

直近読んでいるものといえば専ら筒井康隆さんか中島らもさんである。
筒井さんは一昨年手にした原作の「パプリカ」がきっかけで去年からボチボチ読み始め、らもさんは昨年の「白いメリーさん」の新装版をオーケンの解説に釣られて購入して読むようになった。
今年は筒井さんとらもさんを交互に読んで読書記録(日付とタイトルだけだが)をつけている。

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最近、らもさんの「こどもの一生」を読み終えた。
というか、今日読み終わった。月曜からなので3日間で読み終えたことになる。

何というか、序盤のアミタール面接は"退行催眠療法"のようだな。と思っていたが"10さいのこどもたち"が繰り広げる"ざんこくな遊び"がジワジワときてB級という割に結構なホラーに仕上がっていた。

今朝は起きた瞬間から何が起きているのか予想し始め、退勤後に駅へ向かう途中に「何故10歳という設定なのか」と考えを張り巡らせる。

自分語りになってしまうが、私は幼少期から事あるごとに他人からいじめを受けていた。
そして思い出したのが小4、10歳頃にハブかれたあの頃の記憶。

先日、母のレターセットから何故か当時相手から渡された"証拠品"となる3枚のメモ紙が出てきた。即棄ててもらったので今頃はゴミ処理場で灰と化しただろう。
省かれた原因は子どもだった自分の些細な悪戯が原因だったので仕方がない。だが相手はそれを許してくれず"M3人組"などと名乗って手紙を私の机に忍ばせたのであった。

この件については母が介入して相手の親も巻き込んで上手いこと収束したので長らく私の記憶の中から葬られていた。

私は自分のメンタルが崩壊と対人恐怖症の原因は中学の頃に受けた言葉の暴力の数々だと思っていた。だがその前、10歳頃のこの件だったのではないかと。通りで同世代の女性に対して恐怖を覚える訳だと、そう思わざるを得なかった。

ついでにその翌年に受けたしょうもない省きも思い出して「あ、これ自分絶対悪く無いじゃん」と思った。
人気者のKはみんながベタベタしてくることに少々ウンザリしていた。そこで、皆から逃れて特に群れもしない私のところにやってくる。2人で楽しそうに話をしたことで嫉妬され、私は翌日から訳も分からず省かれた。

"よろしいですかぁ?"これ、私に落ち度無いですね。不可避。女子のイジメって陰湿でつまんない事がきっかけになるもんです。

山田のおじさん遊びみたいなことは流石に無かったものの、10歳という節目の歳こそ思春期より多感で複雑でダメージの残りやすい非常に繊細な時期なのだと。この本を通じて感じたのであった。

それでは皆さんご一緒に。
"頭の先からピーコピコ"

追記:え、舞台やんの?サブカルとパンクロック好きな自分的にジャニヲタ怖いけど気になるなぁ…やべー服着て観に行こかww