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人様に迷惑をかけるなという考えに思うこと

私は小さい頃から人様に迷惑をかけるなと教えられて育てられてきた。
子供の頃の私は今よりもずっと純真無垢であったので、子供の時に出会う大人や教師には丁寧な敬語で話し、大人がいる空間では角が立たないように振る舞っていた。いわゆる世間で評されるいい子を演じていた。
なので、関わる大人たちはもちろん両親でさえも、私を優しくていい子という目で見ていたと思う。

しかし、当時の私はとても違和感があった。自分で自分のことを優しくていい子だと全く思うことができないのだ。

13歳の時にある友人に出会った。
彼は親や先生、大人、友達の前でほとんど自分という性質を変えない。彼のあっけらかんとした性格は周りの迷惑を買うことも多かったと記憶しているが、私は彼の生き方をとても羨ましく思った。

一方会う人ごとに、まるでギターのチューニングをするかのように細かく設定を変えて、迷惑をかけないように、できるだけ嫌われないように、無礼に思われないようにしてきた自分を情けなく思うことさえもあった。

大人になった今では、人様に迷惑をかけるなという教えは一種の呪縛になりうると思う。そもそも、誰かに迷惑をかけないで生きることなんてできるはずがない。
自分の言動のどの部分が誰の迷惑になるかなど全て正確に把握することもできない。

それならば誰かに迷惑をかけることを許容して、その分誰かに優しくしたり、誰かを許せるようになった方が幸せだ。

人様に迷惑をかけるなという考え方は、自分が本当に考えていることや気持ちを押し殺してしまう気がする。
子供も大人ももっと自由に生きていいと思うし、本当に思っていること、やりたいことを遠慮なく発散できれば何となく蔓延る日本での生きづらさも少し解消されるのではないか。

人様に迷惑をかけるなという規律は生きていく上で自由を奪ってしまう枷になりうる。


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