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「片付けを諦めた」より「家族と幸せにいることにときめいた」んじゃないかな?
こんにちは、アジサシです。
“こんまり”こと近藤麻理恵さんをご存知でしょうか。
「人生がときめく片づけの魔法」という本を出していて、アメリカだと「片付け」で超有名な日本人です。
そんな人が“片づけを諦めた”そうです。
それに対してのこんまりさんのお話は、下記web記事を読んでください。
僕はこんまりさんの本は読んでいませんが、はるか昔に本屋で立ち読みした記憶だと、「ときめくもの以外は捨てる」と決めて片づけを進めていく、みたいな感じだったと思います。
あとは噂で、台所のスポンジなんかもきれいに乾かしてしまって、片付けてしまう、みたいなことも聞いたことがあります。
スポンジの片づけはちょっとやりすぎじゃない?って思いますが、
ときめきを利用して取捨選択するのは、参考になる部分はあるなぁ、と思っています。
どんな人にも、理屈じゃ説明できない感覚ってあると思うんです。
それを「ときめき」と捉えて利用する、と僕は考えています。
「ときめき」だけというのはさすがにどうかと思いますが、1つの判断材料としては利用してもいいと思います。
さて、こんまりさんは「ときめき」を大事に片付けが得意になり、仕事にまで昇華させた方なので、そんな人が片付けを諦めた、となると話題にもなると思います。
しかし上のweb記事を読むと、諦めた、というのは少し違うかなと思いました。
上から目線の表現にはなってしまいますが、一皮むけた印象を受けました。
※以下、完全に僕の推測や感想が入ってきます。ご了承ください。
“こんまり”こと近藤麻理恵さん:
もともと“片付け”ということを「なりわい」にしている立場なので、独身時代はもう家をきちんと片付けているということが、当たり前だったんですけれども。
この部分で、こんまりさんは、まじめな人だと思いました。
だから、ご結婚された後も、片付けないといけない、と家庭でも仕事人としての面を出していたんじゃないかな、とも感じました。
それってとても疲れるよな、と思います。
お子さんも生まれて、そのお世話もしながら片付けまできっちりするとなると、時間がないとは記事で書いていますが、心もどこか疲れてたのかもしれませんね。
だから今回のことは、世間的には、片づけを諦めた、という表現になると思います。
でも、こんまりさんは片付けそのものよりも、「家族と幸せにいること」にときめきを感じたんじゃないかな、と僕は思います。
片付けでこんまりさんは有名になりましたが、そのルーツは「ときめき」にあるみたいなので、その「ときめき」を家族に感じ、
それを大事にするには、多少片付いていない状況を許容しなければならないから、許容できるようになった、ということじゃないでしょうか。
完全に僕の妄想、邪推なのは分かっていますし、ファンというわけではありませんが、
ご家族への「ときめき」でこんまりさんが変わった、と僕は思いたいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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