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幸せの土台

自分のできることを、確実に一歩ずつ。
それ以外にできることはないし、最も建設的な方法だと思う。

世の中の事情で、自分の過ごし方も働き方も変えざるを得なくなり、
暗い話がいつだって飛び交っていて、不安の波が絶えずザバザバと足元をさらおうとしていっても。
未来が見通せなくても。
(…というか、いつだって本当の意味で未来は見通せたことなんてないけれど。ぜーんぜん人生予想通りじゃないしね?)

そんなときこそ、いつも以上に、
できることを確実にコツコツとやっていくことが大切なんだなぁと実感した。

なんとなく続くような気がしていた自分自身の生活で、
今までのルーチンで、
自分や家族の健康と心の安定を築き守ることができていなかったということを、
しっかりと知らされてしまったから。

料理や掃除、家族との関係、働き方、暮らし方。
見直すべきは見直して、やることはやる。

「なんとなく」や「やっているような雰囲気」は、もう足元を支えることができないね。
荒波がそんなもの剥いでいってしまうから、
「で、本当のところ、どうなの?」
ということに自分の中で向き合っていかないと、沖に流されてしまう~。

判断の基準は、
その選択と行動が自分の健やかさを確実に守りつなぐかどうか。

これでいいのかなぁ、と不安に思ったら、
朝の太陽をガンガンに浴びて、体を動かして、野菜やご飯をしっかり食べて、夜はよく寝て、
いつだって正気の私で未来につながる答えを探そう。

そう思って、動き始めた。

そうして今日、気がついたことは、
幸せの土台のもとに生きていていい、ということだった。

今の仕事は私にとって、心をすり減らすものだった。
家事もろくにできない忙しさや、仕事終わりに体に染みついていた苦しさや切迫感や諦め。
それとずっと戦ってきて、苦しかった。
それが働くということなのかとすら、思っていた。

学びが多かったことも事実だけれど、
これからはその働き方を変えていきたい。

幸せな気持ちや働き方に基づいて、自分のできることをきっちりとやろう。
そうしていった結果、気づいたら誰かの役に立てていたらいい。

例えるならば。
顔を分け与えたアンパンマンのごとく、身を削ってへろへろでも
「それでも誰かの役に立ってますから~」っていうのは、
違うんだねぇ…っていうこと。
バイキンマンをやっつける大事な仕事ができない状態で、
「生活の為ですから~これでお給料もらってますから~」っていうのは、
まるで…何者かに都合よく飼われているようだな。
そのうち「自分はそんなたいそうなことできませんから~」とか言い出して、
本来の自分を見失ってしまいそう。

私は、バイキンマンをやっつけるような大役なんて持ち合わせていなくても、
本来の役割と能力を確実に活かせるようになりたいな、と思ってる。

家族を支え守りながら、健やかに生きたい。
そう思えるようになったことが、大きな一歩。

だから今日も、やるべきことを積み重ねよう。
ささやかでも、確実・丁寧に。
行きたい未来へ、歩いていけるように。


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