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旧友との再会で自分の変化を知る

大好きなはずのnoteの時間から、しばらく遠ざかっていました。ライティングスキルを身につけようと、一から勉強を始めたことが大きな理由です。書くことと真剣に向き合おうと思うほど筆が進まなくなり、なんでも自由に書いてよいはずのnoteまで「なにを書こうか……」と悩むようになってしまったのでした。

そして、1ヶ月悩んで辿りついた結論は、やはり「noteを楽しもう」でした。多少読みづらくても、独りよがりなものになってもいいじゃないか、と開きなおることにしたのです。

いつの間にかフォロワーさんも30人!とても嬉しいです。ありがとうございます。これからも温かく見守っていただけると嬉しいなぁと思います。

さて、前置きが長くなりましたが、今日は友人と会って気づいた「私自身の変化」について書きたいと思います。

なんでもできる友人と、正反対の私

私には自慢の友人がいます。彼女とは学生時代に知り合ったのですが、当時から「なんでも全力でやり遂げる人」でした。学部では首席で卒業、アルバイト先の学習塾では指導に心血を注ぎ、持ち前の身体能力でサークルでも大活躍。
いつ一息ついているのか分からないほど多忙のなかでも、いつも笑顔を絶やさない彼女は、たくさんの人に囲まれていました。

数多くの友人と広く浅く付き合うタイプの人には、今まで何人も出会いましたが、彼女は「とても広く、かつ深く」付き合うタイプの人でした。それを為せるのは、彼女が努力を怠らず、素晴らしい記憶力を持ち、賢くて思いやりにあふれた人物だからにほかなりません。

一方、私の友人との付き合い方は「狭く浅く」で、記憶力も良くなくて、とにかく手抜きスタイル。そんな私にとって、彼女の存在は眩しすぎて、友人であること自体が奇跡なのではないかと思っています。

彼女がただ羨ましくて自分が嫌になった過去

彼女のような素晴らしい友人を持てたのは誇らしいことでしたが、完璧すぎる彼女と自分を比べては、引け目を感じていたのも事実です。

同じ時期に同じ組織に入って仕事をしていても、しっかりと人脈をつくり仕事で成果も出して、プライベートも充実させている彼女。それに比べて、何年経っても人間関係で悩み、仕事でつまづいて、プライベートでも前に進めていない私。もはや、比べることが不可能なほどの違いを感じていました。

たまにお茶をしながら近況報告をしあうたびに、彼女の人生ばかりがキラキラと輝いて見えて、羨ましくて仕方がなくて卑屈になっていく自分が嫌になったのです。

久しぶりの再会、いつもなら落ち込むけれど……

昨日、久しぶりに彼女と会いました。「会えるのは楽しみだけれど、また気持ちが落ち込んでしまうのではないかな……」と不安に感じながら迎えた当日。いつもどおり仕事の愚痴など他愛のない話をしていました。

いつもなら、家事も仕事も完璧にこなして休日を楽しむ彼女の日常を聞くと、帰り道に「あぁ、彼女と比べて私の人生って……」と焦って落ち込むのですが、今回は気持ちが落ち着いていたのです。

「彼女も頑張っているし、私も私なりに頑張っているんだな」と、まったく比較せずに自然と受け止めることができていました。彼女と出会ってから早9年が経ちますが、別れ際にこんなにも前向きな気持ちになれたのは、正直に言うと初めてのことでした。

私は確かに良い方向に変わっているんだ

これは、自分の物事の捉え方が変わってきたサイン。他人から見ると、私はなにも変わっていないのかもしれないけれど、内面では大きな変化が起きていると感じました。

半年前に彼女と撮った写真を見てみたら、全然違う顔つきをしていたのです。自信なさげに薄っすらと笑みを浮かべて、心のモヤモヤに気づかれないよう必死な私の姿。それに対して、今の私は心の底から彼女と自分自身の幸せを願って、意志を持った眼差しで笑えている。彼女のおかげで、私ひとりでは気づけなかった変化を知ることができました。

私は確かに変わってきている。しかもきっと、良い方向に。そんな確信を持てた1日でした。