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LD傾向のある息子がカタカナを習得し、文章が読めるようになってきた道のり

こんにちは。
今朝の小1の息子君。
ひらがな→カタカナ変換プリントを初めてヒントなしにすべて埋めることができ、「全部分かった!!!おれ天才!」といって笑顔で登校していきました。
母は単語の途中の分かる文字から書き始めるのではなく、単語の上から順番に書いていたことに感動。今日はカタカナ学習のこれまでをまとめてます。

カタカナを覚えるまでの流れ

彼のカタカナ習得の成果と課題をを日々の生活と学校の授業から振り返ってみると・・。

①ポケモンカードのおかげでなんとなく読めるようになる(全体で覚えてる。本当にポケカ様様)
②学校でカタカナを学び、授業や宿題を通して書くことを経験する。
③商品などの目につくカタカナを読み始めて読めるようになる。

の流れで習得し、そこで止まりました。

学校の宿題ではノートの書き取り練習、問題集1冊を少なくとも行っており、自宅では週2~3でカタカナプリント(ポケモン)をしました。
けれどもほとんど書けるようにはなりませんでした。

そして漢字が始まりました。

・・・想像はしてた。

ということでここからは自宅学習に切り替え。
息子君を観察して考えたカリキュラムは次の通りです。

①カタカナを使う状況を指定して役割をイメージしやすくする。
②①で指定した範囲の文字をひらながをカタカナに変換するプリントをすることでひらがなとカタカナをつなげる。またカタカナを思い出す練習をする。
③絵を見てひらがななしにカタカナを書けるようにする

今、ステップ②です。
こちらが今朝、「全部かけた!」と喜んでいたプリントです。
バイオリンの イ、リ、ンを書いて「バって何だっけ」と悩むのと、上から
「バイオリン」と書くのでは、見ている方も書いた側も達成感が違う!

同時に漢字も練習しています。
こちらは
①読み仮名の意味を説明して複数あることをまず腹落ちしてもらう
②同じ漢字でも言葉や文章によって読み方が違うことを体感してもらう問題を作る
③漢字を使った文章を考える練習をする
の3ステップを今のところ考えています。

そして学校で学んだ漢字のみ対象とし、本人がこれも漢字で書いてみたいと思ったものは取り入れる。ただし覚えることは強要しない。
今のところ、予想外にうまくいっています。

LD傾向の子に必要だけれど抜けがちな視点

さて、カタカナにしても漢字にしても①で状況整理をしているのは理由があります。これは当たり前にできる人には中々気が付けない部分。
なんだと思いますか?

息子を見ていると、文字から伝わる視覚情報の把握が苦手というのが分かりました。
人は無意識にそれを把握してそれを前提として話をする傾向があります。

例えば、漢字ノートの構成が
見本、読み方、書き順、画数、漢字の繰り返し練習、漢字を使った言葉
となっているとします。(ノートにもその旨の記載がページごとにある状態)

その構成を最初にしっかりと説明されず、
ノートを見ながら
「まず見本書いてみようか」
「読み方も書いてみよう」
「次、書き順はこうだよ~」
「じゃあ漢字の練習をしてみようか」
「そしたらこの漢字使った言葉って何があるかな?」
というもっていきかたをするとします。

通常はノートの文字情報が視覚に入った状態でその説明を聞くので
ノートの各項目(文字)と言葉の説明がリンクします。
「見本か、ここに書くのね」「書き順はここね」と説明しなくてもできます。
そしてこの資料見ながら、別の漢字で同じことをやってみようといわれるとすっと分かります。

ところが息子はそれができません。
意識して読まない限り、ノートの各項目の文字は意味を持たない模様に近い存在なのです。

それでも普段なら意識して読もうとすると思います。
ところがここに苦手な文字を認知して学び、しかも書く作業が加わると、授業の理解度は一気に落ちます。
なんなら
「この漢字を使った言葉って何があるかな?」と言われて考えるのに頭を使うと、ノートに書いてなかったりします。

当たり前がゆえに気が付かない、自然とつながるところがつながらない部分。でも1年生に、その違いや混乱ポイントを自分で言語化することはできません。
なので毎回、文字の視覚化でなんとなく説明されそうなものを明確にしていくようにしています。
またハードルが高い分、今から学習するものが活躍する場を説明することで必要性を理解してもらうこともかねています。分からないけどやらされてるのは誰でもいやですよね。

過去からは考えられない変化


そんな息子君ですが、日本語を読む力、形を認知して覚える力というのは日々育ってきていて、正直驚くほどです。

文字に興味を持てなかった年長のころ。
それが認知の課題のせいだと気が付き学ぶ中で、「あ」の文字を十字マークにしたときに感じた絶望感。
はじめての文字であるひらがなを、本人が覚えようと思ってがんばり、読めるようになるまでの長い道のり。

宿題のプリントを読んでも、「したのえのような」の下の絵が探せなかったり、
問題を読んでも何をいっているのかが理解できなかったり、
宿題の回答を別の場所に書き込んだりしていた時には正直果てしなさを感じました(早すぎる)。でも毎回思ったのは私も大変だけど、本人はもっと大変だということ。

それが今では、問題をゆっくり自力で読み
「下のっていうのはこれのことでしょ。1~3はこれね」と自分で言いながら読み進め、問いの意味を理解し、回答を書く場所を自分で見つけ、自分で答えることができるようになりました。
算数ラボはあれだけ苦労していたのがうそみたい。
毎朝1問、自分で読んで解けるの彼の楽しみの1つになってきました。

読めさえすれば本来の能力が発揮でできる。
おれ天才!というのもポジティブさを表す表現としてほほえましいとともに、今までの努力をしってるからこそ「ほんまに努力の天才やで」と拍手を送りたくなります。
何より混乱してももう一度考えてみようかというと過去にしたことでも抵抗なくチャレンジできる忍耐強さが育ちました。

まだまだうまくかみ合わず、学校でも色んなことが抜けたり分からなかったりすることがあります。
でも息子は周りじゃなくて、前に進んでいる自分を見ている。

彼は自分でネットで色んなことを調べることができるようになりたいし、大好きなヒカルの碁も、漢字やカタカナがたくさんあるので苦労なく読めるようになりたいらしいので、そこを表のゴールにできたらなと思います。

ローマ字練習、PC練習は板書を取るという視点でも中学以降は必須になりそうなので親的にもありがたいな。
でも未来ばかりみないでまずは目の前の一歩を着実に進んでいけたらいいな。

今日は彼の「おれ天才!」の笑顔がうれしかったので、これまでの過去を思い出してまとめました。

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