「ちゃんとする」の正解は、発言者しか知らない。
親をしていると「やり方より、在り方」と言う言葉に触れる機会があるかもしれません。
次女が学校に行けなくなって、色んな接し方を試してもダメで。
彼女の様子をみていると、
「自分にOKを出せなくなっている」
「評価軸が他人軸」
になっていると感じました。
「ちゃんとやる」にこだわりすぎて、何もできなくなっていく娘。
それって何?どこでそういうことを覚えてきたの?
そういえば、お家にくる子達も娘も「ちゃんとやる」と言う言葉に反応する。
「次女のママまでそんな言葉使わん取って!」
「その言葉を聞くと、心がざわざわする」
その時、私が何気なく言った言葉は、
「お菓子食べ終わったら、ちゃんと流しに出しておいてね~」でした。
何気ない会話をしている合間の一言。
1人じゃない。
口々にそういうのです。
ああ、これは「ちゃんと」話を聞かなくては。
聞いて思いました。
「ちゃんとする」の正解は発した大人しか知らないんだって。
「ちゃんとする」をしようとする事って、他人軸なんだなと。
それで娘への対応を
「そのままの自分にOKを出していいんだ(あり方の承認)」に絞りました。
他の大人にも力を借りました。
結果、次女はものすごい力をもって、昨日と今日、学校に行くことができました。
しかも、ただ相手のルールの世界に戻ったのではなく、
自分の快適な環境、みんなにとって快適な環境を作り出そうと考えて。
先生をもう一度信頼しようという気持ちをもって。
信頼できる大人がいること。
子どもが大人を信頼できること。
この二つの大切さが身に染みます。