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フルーツパイのこと

2021/06/26

 ブルーベリーの季節がやってきました。新鮮なブルーベリーが、1キロ5、6ドルで買えます。さっそくブルーベリーパイを作りました。


 フルーツパイには、思い出があります。



 今から30年前、私がカリフォルニアに来て初めて食べた食べ物が、フレッシュストロベリーパイでした。このブルーベリーパイ同様、丸ごとの苺にグレイズを絡めたものがパイクラストにゴロゴロと山のように盛られたパイです。夜、仕事帰りに空港まで迎えにきてくれた友達が、晩御飯を食べるためにファミリーレストランに寄ったのですが、私は機内食が消化されておらずお腹が空いてなかったので、パイを一切れ頼んだのでした。



 初めて目にしたフレッシュストロベリーパイに、私はすっかり度肝を抜かれました。それまで、アンナミラーズなどのアメリカンレストランでパイを食べたことはあったので、サイズに免疫はあったものの、一切れに1パック分はあろうかというぐらいの苺が溢れるほど盛られたその贅沢さに、アメリカのパワーを見た思いがしたのでした。



 今でこそ、日本には新鮮な美味しいフルーツをふんだんに使ったスイーツが溢れていますが、当時は、みかんとリンゴ以外のフルーツは贅沢なものという感覚がありました。ジェラートという名のアイスクリームが日本に上陸した時は、「生のフルーツを使っている」ということ自体が衝撃でしたし、ショートケーキに乗った苺は、一粒でも輝かしく、特別なものだったのです。それが、惜しげもなくゴロゴロと…。ブルーベリーなどは、軽井沢でしかお目にかかれないようなハイソな果物でした。



 私があの時ストロベリーパイに感じた経済の底力が、アメリカと日本で逆転したのはいつからだったのでしょうか?



 30年前、アメリカはモノで溢れているように映りました。今では信じられないようですが、当時の日本には、ファンシーグッズはあっても、大人の女性の心を掴むような可愛い雑貨がありませんでした。アメリカに行くと友達に言うと、カラフルな文房具やキッチングッズや雑貨類をお土産に頼まれたものです。それが今ではどうでしょう。日本のモノはアメリカ人の羨望の的です。旅先でのショッピングは、物珍しくて楽しいものなので、私の在米年数が増すにつれて日本のモノが良く見えるのは当然だろう、と思っていたのですが、そういうわけではなくて、実際に日本が豊かになっているのは否定のしようがないと、ここ数年で確信しました。



 アメリカと日本が逆転したと思う点は、他にもあります。それは、公衆トイレです。30年前、私がアメリカで感じたのは、比較的きれいな洋式トイレがどこへ行ってもあることの安心感でした。グレイハウンドのターミナルなど、かなり殺伐とした場所のトイレでさえ、壊れたドアの鍵を手で押さえながら用を足すというような経験はしましたが、それでも、当時の日本の公衆トイレに比べたら、断然マシだったのです。それがどうでしょう。今、日本のどこへ行っても、泣きたくなるような汚いトイレに出くわすことはないどころか、デパートのトイレなど、そこに寝泊まりしたいぐらいの美しさなのです。これは、日本を旅行したアメリカ人が皆、口をそろえて絶賛することです。



 この変化は、私が渡米してからほんの十数年で起こったことなのです。十数年でこんなに生活レベルが変わるものでしょうか?



 私は今でも大学時代の友達と親しくしているのですが、卒業して25年以上も経つなんて信じられないほど、彼らと一緒にキャンパスで過ごした日々はつい最近のことのように感じます。25年というと、あることに気づくのです。それは、自分が生まれた年は、戦後ちょうど25年周年だということです。



 私は、横浜、横須賀で生まれ育ったのですが、物心ついた頃、戦争の爪痕のような光景を見た覚えはいっさいありません。自分が大学を出てから今までの月日の短さを思うと、親世代の人々の復興にかけた労力に畏れ入ります。



 日本の果物はとびきり甘くて、アメリカのフルーツなどとても太刀打ちできませんが、この大雑把でやけくそな感じのフルーツパイの迫力には、アメリカらしい大陸的なパワーを感じます。

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