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私の中の広島



 環境保護とコスト削減のため郵送物のデジタル化が進み、郵便受けがカタログで溢れることがなくなって久しいですが、私がアメリカに来た当時は、毎日のように様々なカタログが届きました。インターネットが普及する以前のことなので、それこそネットサーフィンをする感覚で、いろんな商品があるものだなぁと暇さえあればカタログをパラパラめくって眺めていました。たいがい最後まで見たら捨てるか、ちょろっとページをめくって興味がなさそうなら処分していましたが、一枚だけ、ページを切り取って25年近く経つ今も資料として保管してあるものがあります。


 それは、広島に原爆を落とした戦闘機、エノラ・ゲイとそのパイロットのサイン入り写真を額装したものです。


 このページには、他にも落下傘部隊の写真があったりして、カタログという最もカジュアルで無防備なメディアの上で、なんとも異様な光景でした。私は目を疑い、それがエノラ・ゲイであることを確認した途端、心が凍りつきました。アメリカではまだ多くの人が、「原爆が戦争を終わらせたことでさらなる犠牲者が出ることを防いだ」と信じている人がいるとは聞いていましたが、まさか、子供から年寄りまで罪のない一般人を無差別に殺戮した戦闘機の写真を居間に飾る人がいるとは思ってもみませんでした。商品説明には、はっきりと「原爆は第二次世界大戦を迅速に終結させて多くのアメリカ人の命を救った」と書いてあります。


 これをどうしようという具体的な意図はありませんでしたが、アメリカを知るための資料として持っておかなければ、という思いが沸き、このページを切り抜いておいたというわけです。


 現在、G7サミットで世界中から注目されている広島。私が訪れたのは、1977年、私が6歳か7歳の頃のことでした。なぜ年代を覚えているかというと、その時にキャンディーズの『やさしい悪魔』という曲が流行っていた確かな記憶があるからです。広島を訪れたのは、当時親戚が住んでいたからなのですが、その時に母が幼い私を原爆ドームと資料館に連れて行った判断は間違いだったのではないかと、その後何年もの間思っていました。というのも、広島の訪問は、以後長い間、私にとってトラウマとなったのです。

 資料館で目にしたものがあまりにもショッキングで、それからというもの、夜中にヘリコプターなど飛行物体の音が聞こえる度、原爆を落とされるのではないかという恐怖に襲われ、布団の中で身を縮めていたのです。あんなにキラキラして可愛かったキャンディーズが、「悪魔、悪魔」と連呼していたのがさらに幼い私の恐怖心を煽り、いつか世の中は一瞬にして火だるまになり、何もかも真っ黒けになったりドロドロに溶けてしまうんじゃないかと怯えていました。


 成長して、第二次世界大戦のことや広島、長崎の原爆のことを知るにつれ、やはり歴史や政治背景の理解ゼロの子供をヒロシマに連れて行っても単に恐怖心を与えるだけで、意味がないどころか、悪影響を与えるだけなのではないか?と思い、私を連れて行った母の判断に疑問を抱くようになりました。



 ところが、最近は全く逆のことを思います。



 私の中には、理屈ではない生理的なレベルで、反戦意識が宿っています。ここには、やはり幼い頃の広島での体験があるのではないかと。


 自分も人の親になり、周囲に、「子供が怖がるから戦争映画やドキュメンタリー番組は見せない」と言うママ友が少なくないのに違和感を覚えます。だって、広島であの時被災した人の中には、子供も無数にいたのです。その子たちは、何が起こっているのか何も分かってなかったのです。今現在、戦争や紛争の最中にいる幼い子供たちも、周りで何が起こっているか分からずに日々自分や家族の命が危険に晒され怯えているのです。そこに理屈はありません。戦争体験者、被爆者の方々は高齢になられ、生の体験談を語り継げる人が少なくなってしまいました。戦後生まれの私たちにできる唯一のことは、出来るだけリアルな戦争の恐ろしさを学ぶことではないかと思うのです。

 今思うと、小さい私を原爆資料館に連れて行ったのは親として勇気ある行動であったと、母に感謝します。

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