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冬空や ツワモノどもが 夢note【エッセイ】

うまいことを言おうとして、なぞのタイトルになってしまった。

今年ももう終わりじゃないですか。
その上、色々あったじゃないですか。

なんだか切なさを感じてしまったんですよね。『諸行無常』感といいましょうか。ずっと同じであり続けるものなんてないんだな。そんな当たり前の思いにかられている雪の日の今日。

凍える体の芯のほうから、じわじわと湧きだしてきたnoteの雑感です。


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私はnoteに3年かそこらくらいいるんですけど、私がここに来てしばらくした段階でもう、「noteの人がどんどん入れ替わっている」という記事を書いた覚えがあります。(探したんですけど見つかりませんでした)

『編集部のお気に入り』に入った記事を書いた人を見にいくと、その記事しかない。そこから定期的に書きだすわけでもない。書いていても最近は更新頻度も低く、すでに飽きてきている感じが伝わってくる。
書くメディアとして認知はされてきたけれど、定着にはまだ遠くて『とりあえず一度書いてみるか』といった、日和見なイメージもまだ強かったのかもしれません。

そんな感じで、昔からすでに入れ替わりが始まっていたといいましょうか。何となく記事を書いてみる人が増えて、入る人がいて、同じように出ていく人がいる。1年もたつと、ガラッとアクティブユーザーの面々が変わっている。そんな印象を書いた覚えがあります。

現在は、入ってくるユーザーが圧倒的に多いと思いますけど、やはり居なくなっていく人も一定数います。常に流動している……そんな印象は今も変わっていません。


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――そうそう。そもそもnoteって、私の勝手なイメージなんですけど『修練の場』のようなイメージなんです。

最初こそ、『記事が単品で売れるらしい』という触れこみに惑わされて入ってくるんですよ。ご多聞にもれず私もそうでした。

でも実際やってみるとこれはかなりハードルの高い話です。いや、無理ということでもないんでしょうけど「こんなに沢山売れました。今月もウハウハです!」みたいには基本的になりません。そういうのは、もともと知名度やノウハウのある人ができる技。一介の素人が片手間に文字を書いてもそうはならない、ここだけで完結できない……ということにある時、気がつくわけです。
でも、それと同時に、ここのSNS的な横のつながりに居心地の良さを感じるようになり定着していくんですよね。


……じゃあそれだけでいいのか、というとやっぱりそうじゃなくて。上を見るのであれば、単に居心地の良い、ここにいるだけではダメだという思いも次第に強くなります。

もともと書ける人はここに居つく理由はあまりないんですよね。いやもちろんSNS的な楽しさはありますけど、すでに本業でライターをしている人であれば、こんなところで油を売っているよりも、他で文字を書いた方がお金につながる確率は格段に高いわけですから。

ある人は公募の小説を書くため。ある人はライター業に本腰を入れるため。ある人はここのコンテストを通して仕事をもらえるようになったため。

そうやって一度居ついた人は、「書く力のある人」から順にここを離れていく。ここnoteにはそんな印象がずっとあります。ここは結局『修練の場』、それも一時的な場所でしかないのだと。そう私は感じています。

もちろん『一時的な場』にならないように編集部は日夜頑張ってくれていると思いますが、すくなくとも現状では、急に広がった裾野をカバーできるほどには達していないかな、と思います。


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だから更新頻度が下がってしまった人は「次のステージに進んだ」ということが多いと思いますし、別に悲観するものでもないんでしょうけれど、やっぱり人がいなくなるのは寂しいもの。

そしてやっぱりそういう寂しい別れのくさびになっていたのがリアルイベントだったと思うのです。「ああ、あの人どうしてるかな……」と思いをはせた時に、思い浮かぶのはその人の顔でしょう。間違ってもその人の文体が出てきたりはしないと思うのです(一部そういう人もいるかもしれませんが)。

顔を合わせて話すって大事なことなんだなぁと。こうしてもう1年近く巣ごもりのような生活をしていて、痛切にそう感じているところです。

その上、さきほど書いたようにここは『一時的な場所』です。

いましばらくの我慢だから……と言っている間に、本来なら築けたはずの関係がなくなっていた、ということは星の数ほどあるのではないでしょうか。
SNSがあるのだし、そのうえリアルイベントまで……という贅沢な考えなのかもしれませんが、古のオタクの私にとって「リアル」と「ネット」は結構大きな隔たりがあるのです。一度、顔を見たかどうかってとても大切な要素なのです。

だから今年、表立ってそういうイベントが行えなかったし、行われなかったことって、リアルとSNSのはざまに居る私たちにとって、こう……世界線というか、たらればの世界でいえば、すごく大きな意味があったんじゃないかな、なんて思って寂しくなったのでした。


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そんな寂しさを助長した一つの要因が、先日の炎上騒ぎです。あの件で伊実際にここを離れる決断をした人もいました。それに加えてもうひとつ。私自身も、ここで文章を書くことの意味を考え直しているからです。

別にここをやめる理由はないので、「やめません」って書きましたし、積極的にやめるつもりはないんですけど、うっすら目標みたいなものはあるんです。それは……

小説を書きたい。

……ってことなんです。まあこれも絶対小説家になるぜ! とかそういう野心にあふれたものでは全然ないので、まじめにやっている人からは叱られそうなくらいのモチベーションなのですが、まあ心のすみっこにそういう思いがあることはあるんですよ。

noteという場所は、エッセイストになりたいのであれば、ここで書いて力をつけることはかなり良い道筋だと思います。でも小説に関して言えば、長い話は読まれづらいですし、ここよりも読まれやすいサイトは沢山あります。少なくとも現段階ではおそらくここが最適解でないでしょう。

ここに来た時には、レビュー書ければいいやとだけ思っていて、ちっともそんなつもりはなかったのですが、今はすこしだけそういう野望があるんですよ。


今、私がここで書いているのはショートショートで、比較的ここに適している形態だと思いますが、別に私はショートショートがとびぬけて好きなわけではありません。もちろん好きだけれど、普通の小説も好きなのです。ここの雰囲気と、更新しやすさを追求したためにこうなっているだけなのです。

もし長いものを書くとなれば、それなりに時間も取られる。いざ書きあがったあら、あげる場所も別の場所。となってしまうと、私自身ここに居続ける理由が低減してしまうんですよね。……というか物理的に居られなくなってしまう。

そういうイメージが少しづつ固まってきてしまったんです。

実際のところ、まだまだまともな文章が書けているとは思えないので、すぐにここから離れることはないでしょう。これが書きたい! という明確なビジョンがあるわけでもありません。

でもここを"卒業”していった人や、なんとなく居なくなってしまった人を見ていて、私にとっても他人事ではないのだな、と。

そんなことを思った雪の日でした。



#エッセイ #コラム #note #目標 #来年の抱負

「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)