「カワイイ」に憧れつづける私
『カワイイ』という魔法の言葉は、女性が使うものだ。
そんな呪いのような概念に私は縛られている。
そして、それゆえ私は「カワイイ」に憧れ続けている。
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別に性自認がどう、という話をしているわけではない。
言葉の使い勝手の問題なのだ。
かわいい、可愛い、カワイイ
表記はいろいろあるけれど、今日は便宜上カタカナの「カワイイ」を使っていこうと思う。何気なく使っている「カワイイ」という言葉の能力はとにかくすごい。
特筆すべき【ポイント1】は、その汎用性の高さ。
容姿を褒めるとき、洋服が素敵だったとき、何かしらの好意的な行動を見たとき。どれもこの「カワイイ」ひとつで心の動きを表すことができてしまう。こんなに汎用性の高い言葉は「ヤバイ」くらいしか思い当たらない。
【ポイント2】は、そこに悪意がないこと。
悪意をもった使い方もできるけれど、基本的にどんな状況でどんなに乱用したとしても、そこに悪意が生まれない。カワイイが生むのは常に肯定であり、カワイイはいついかなる場所でも正義なのだ。
しかし残念ながら男の立場だと、そんな正義の言葉『カワイイ』は意外と使いづらい。
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「きゃー!これ超かわいい!」
と、街中で男の人が話していたら、もしかしたらこの人はオネエなのかな?と思われても致し方ないだろう。これは私の偏見に過ぎないのかもしれない。でも私だったら正直そう思う。
オネエを否定しているつもりはない。むしろ両性の良い部分を気兼ねなく使うことができるという点では優れていると思っている。ただ自分を誤解されることは、誰だって気持ちのいいものではない。
結果、世間の目を意識してしまい、男として「かーわーいーいー!!(>_<)」と使うことはハードルが高いのだ。
しかも問題はこの「カワイイ」だけにとどまらない。文字や表現の世界において、『女性語』の方が圧倒的に汎用性が高いと私は思っている。
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勝手な造語を作ってしまった。
『女性語』とは主に女性が使う、物腰の柔らかい言葉の総称ととらえてもらえばよい。反義語で『男性語』もある。
男性語はどうしたって「ぶっきらぼう」に見えるし、感情の起伏も伝わりづらい。必要なことが伝われば十分と思っているかもしれないけれど、その言葉のテンションがわからなければ、必要な情報が的確に伝わっているとは到底言えない。それでコミュニケーションが取れているの?と疑問に思うこともある。
そんな意識が透けて出るのだろうか。
ツイッター等のSNSで顔をさらしていないときは、私のことを「女性だと思っていました」という方が少なくない。実際、私のツイートには「カワイイ」もあるし、女性的な言葉が端々にあふれる。
意図的……といえるほど、自覚的に使ってはいないけれど、私が好んで女性語を使っているのは確かなようだ。
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家庭などの気安い場は除くけれど、普通の距離感で付き合いのあるリアルの場となると、なかなか女性語を自由に使うことはできない。それこそ世間体とかそういうものの影響を強くうけるのだろう。何よりも自分が自分を許せない。
結果、あこがれはあこがれのまま。
私は今日も「カワイイ!」って言えたら話が早いのになぁと思いながら、「いいですね」とかなんとか言ってお茶をにごす。
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