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誰が自分を惨めにするのか

例えば、
洋服を買いに店にいったら
気に入ったものが見つかったので
一緒に行った友だちに
似合うかどうかたずねてみたとする。

友だちは
「全然似合ってないからやめたほうがいい」と言った。

またあるとき、
前から気になっていた髪型に
思い切ってイメチェンしようと
このヘアスタイルは似合うだろうかと
たずねてみた。

すると友だちは
「変だから絶対やめたほうがいい」と否定した。

こういうとき
人はどう思うだろうか。

何を考えるだろうか。

自分が気に入ったものを
共感してほしくて
背中を押してほしくて
「YES」を求めて相談したのに

否定されたことが悲しくなり
嫌な感情だけが残ってしまう?

そして
聞かなきゃよかった
相談しなきゃよかった
相談する相手を間違えた
もう二度と聞くもんか

そうやって後悔し
心を閉ざす?

こういうとき
意識を向けるのは

「友だちに相談すべきだったか」
「相談する相手を選ぶべきだったか」
「聞き方を変えるべきだったか」

ということではなく

そもそも
「誰が今、自分を惨めな思いにしているのか?」
ということ。

ここを正しく理解できないと
この先も同じようなシーンで毎回つまずくことになる。

友だちが言った

「似合わない」
「やめたほうがいい」

という言葉が
正しいのかどうか
適切だったのかどうか
それはどうでもいいし
そもそも絶対的な「正しさ」なんてないわけで。

そうではなく
フォーカスすべきは
「誰」が、その言葉に同意したのか?
ということ。

仮に、
誰かに「その服は似合わない」と言われても

「あ、そう。でも自分が気に入ったからこれ買うわ」と
自分の感性に従って決める人はいくらでもいる。

誰かに「そのヘアスタイルは変だ」と言われても
「あなたにはそう見えるの。でも自分はこれにしてみたいからするわ」と
自分の感性に従って決める人はいくらでもいる。

聞いてもいないのに
勝手にあーだこーだ言ってくる
おせっかいな人のコメントは完全無視でいい。

でも、
自分から助言やアドレスを求めて
返ってきた答えが自分の期待したものでなかった場合
「それ」を受入れるかどうかを決めるのは自分なんだ。

相手になにを求めているのか?
はじめから「YES」の答えだけを求めているのか?

求めた回答がこなかったからといって
勝手に一人で拗ねているのは一体だれなのか?

誰が今、自分を惨めな思いにしているのか?

ここが腑に落ちてくると
目の前世界がガラッと変化してくる。





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