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10年越しの大学院卒業

韓国に住み始めて5年目の春、私は大学院生となった。外国人奨学金をもらっても学費は結構な出費だった。でも30歳にしてまた大学で学ぶことができ、喜びを感じていた。
のらりくらりと講義を受けているうちに、あっという間に最終学期。論文を提出しなくてはならなくなった。すでに先行文献には目を通し、調査と分析を済ませ、ある程度の結論の目処は付いていた。ところが、私に立ちはだかる大きな壁が2つあった。
1つ目は韓国語の壁。この頃には韓国語の読み書きはそんなに大きな負担ではなかったし、うちにはネイティブスピーカーもいるから協力してもらうことは問題がない。しかし、外国語で長い文章を何ヶ月もかけて書くことの大変さというのは、意外なところにあった。以前執筆した部分を読み返すのが一苦労なのだ。自分で何を書いたのか覚えていないから、新しく内容を書き始める前に、前回の内容を読み直さないといけないが、韓国語だから理解するのに数十分かかる、という不便さがあった。
そして、もう一つ最大の壁が時間だった。ちょうどその頃子どもが生まれ、フルタイムの仕事をしながら育児に追われる日々。睡眠時間もまともにとれない状況で、論文なんて到底無理があった。正直、自分としては、内容は定まっているのだから書きさえすれば終わる、と考えていたが、甘かったようだ。当時の論文指導教授から「あなたは論文よりも大事なものを作ったんだから、そっちの世話をしなさい」と言われ、その年の卒業を断念。
結局、その年修士課程を修了した。8年以内に論文を提出すれば学位がもらえるということで、卒業扱いにはならなかった。それからというもの怒涛の忙しさが続き、たまの休みには、頭の片隅に論文があって安らかに休めないという日々を過ごしてきた。

子どもが小学校に入るとようやく心と体に余裕ができて、一大決心をすることとなる。万が一論文が書けず、大学院にかけた費用がすべて無駄になった日には目も当てられない。その一心で週末は論文に専念し、何とか書き上げて卒業することができた。

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