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千野栄一「外国語上達法」を読む②:レアリアって知ってますか?

引き続き『外国語上達法』をご紹介します。

この本が本物だなと思うのは、「外国語学習ではレアリアが重要だ」と指摘しているところです。大局的な眼差しには本当に頭が下がります。

レアリアとは、現実的な知識や情報のことで、外国語教育では実物教材という意味でも使われます。ネイティブが持っている暗黙知・身体知を含む社会文化的な知識のことをいいますが、ここではまず、千野先生がレアリアの重要性について書いている部分を見ておきましょう。

そもそも言語というのは、それ自身が目的ではなく、伝達を始めとするいくつかの機能を果たすために存在している。すなわち言語は「自目的」的ではなく、「他目的」的なものである。そして言語はそれだけで単独で使われているのではなく、必ず何かある状況の中で使われる。この状況は色々な情報を言語に与える。従ってこの状況がよく分かっていれば、この言語の理解が容易になる。そして、その言語が伝えている内容が具体的に把握されれば、この言語の理解がより容易になることは自明である。ここに、レアリアが大切な理由がある。(p184−5、強調引用者)
外国語を理解するということは、とても難しい。話されたり書かれたりした内容がよく分かるためには、母語の話し手が意識して、あるいは意識せずに身につけたレアリアの知識を、我々は意識して身につけなければならない。(p188、強調引用者)
とりわけ、その語学が外国語であれば、母語の話し手が持っているレアリアに絶えず近づくことによってレアリアの量が増し、よりよくその外国語が理解できるようになるのである。そこでその外国語を支えている文化、歴史、社会…というような分野の知識を身につけておけば、それは外国語の理解の際に、まるでかくし味のように後から効いてくるのである。(p193−4)

言語は、ある状況や社会文化的コンテクストの影響を受けるので、言語理解には文化理解が必須だとしているようですね。

では、文化とは何でしょうか? 「文化」を辞書で引くと「人間の生物学的な欲求や要素以外のすべての営みで、伝承されてきたもの全て」といったことが書かれています。残念ながら、範囲が広すぎてピンときません。

普通の人が、文化と聞いて思い浮かべるのは伝統文化・伝統芸能や高尚文化(ハイカルチャー)といったものでしょう。日本でいうと「着物」「歌舞伎」「文楽」「茶道」「花道」「神道」のようなものでしょうか。

この大きすぎるイメージや伝統文化、ハイカルチャーの敷居が高そうなイメージから、「文化の話は私には早い」と思われがちですが、ドラマやK-POPも「大衆文化」と呼ばれる文化の一つ。言語も、文化の一つなんです。

ラジオ講座の開講メッセージで、

言葉を含めた「文化」という、より大きなくくりで構成している。(中略)言葉は、その世界を表現する「文化」の一つで、「文化」と言葉は本来切り離せないものなのです。

と語ったのはこのことでした。

言葉は文化の凝縮体であり、言葉と文化は表裏一体なのです。ところが、二つを切り離して言語だけを取り出して、文法構造を理解しその運用力を高めようとするのがこれまでの学習法でした。だから、文化がギュッと詰まったKコンテンツを消費してきた人が韓国語を学習しようとすると、文化と言語の乖離っぷりに、戸惑う経験をしているかもしれませんね。そのことは、また別に書きます。

ここでは、文化についてもう少し深く考えてみようと思います。ここでは「3つのP」という考え方を拝借します。

1つ目のPはProduct(もの、産物):形のあるもの

2つ目のPはPractice (儀礼、習慣):人間の行動

3つ目のPはPerspective (物の見方、世界観):人間の心の世界

1つ目はキムチや伝統服、コスメ、ファッションなどのモノにまつわる文化です。2つ目はお辞儀の仕方、箸の並べ方、お酒の注ぎ方など振る舞いに関すること。3つ目はそこに暮らす人々の持つ価値観、死生観、宗教観などです。ちなみに私の専門は韓国近現代宗教文化なので3つめのPとなります。

韓活韓国語では、言語の内部構造を見るために社会文化的コンテクストを切り捨ててしまう語学学習ではなく、社会文化的コンテクストと言語を絡ませながら学ぶ学習コンセプトなのです。

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