●韓活韓国語はアウトローか?:ことばと文化を融合させた外国語学習

 このブログを続けてお読みの方は、そろそろ「いい加減しつこい!」とお感じかもしれませんが…。
私は、外国語教育業界に十数年といる人間として素朴に感じる違和感や疑問を解決したいと思ったことをきっかけに、言語学レジェンドが作り上げてきた外国語教育に、私の専門である文化の視点を絡めた新しい外国語教育を志しています。
 今回は、私の考える外国語教育が、伝統的な教育法と比べて「アウトロー」でもないんだというお話です。

ことばと文化を融合させた学び

 外国語研究業界を見渡すと、実は韓活韓国語と同じような主張は数十年前からあります。
細川英雄先生をはじめとする日本語教育の研究グループは「言語文化教育」という大変刺激的な研究成果を上げています。マイケル・バイラム先生は『相互文化的能力を育む外国語教育という書籍を著しています。
 でも、一般的な韓国語学習書には、言語と文化の融合は感じらません。素晴らしい研究成果があるのに、実践されているのはほんのわずかな大学のみ、多くの現場や書店売りの学習書には、研究成果が降りてきていないのです。
 韓国語教育に限って言えば、「ことばと文化を融合させた学び」について、ほとんど議論されていません。

 まず「韓活韓国語」は、言葉は「多目的(つまりツール)」であるという千野栄一先生の理解を中心に、言葉の習得を目的化せず、学習者の様々な活動を豊かにするための韓国語教育を目指しています。

 日本の外国語学習は、「学習することそのもの」のみを目的に組み立てられがちです。それを「何に生かすのか」「(文法以外の面で)何を知ってほしいのか」といった視点を持たないまま、漫然と学習させているのです。
 学習の目的には「推しの言っていることがわかりたい」「ドラマや映画といったコンテンツを理解したい」「旅行で使える言葉を知っておきたい」「ネイティブとコミュニケーションしたい」などそれぞれですよね。目標が違えば、学習内容も学習手法も違ってきます。でも、一人一人の目的に合わせることはできないからと、誰もが文法学習、あるいは検定試験対策学習の方向へと引っ張られているのです。
 教育者の側から、言い訳も十分できます。10の学習目的があるとして、1人の教育者では対応できません。なので、共通項(だと思い込んでいる)の文法を教えているのだと。検定試験(TOPIKのほう)で最上級の級を取得したら、そこからは目的に合わせて各自が独学してください、ということです。
 でも、それはないんじゃないか、というのが私の考えです。TOPIK最上級にたどり着けなかった人は目的に一瞬もタッチすることなく、韓国語学習から途中退場することになります。さらに、目的が多様だから各学習者の目的に合わせるのは無理だと言いますが、既定路線以外の学習法を検討したことはあるのでしょうか。韓国語に関しては、すべてが「これから」というのが実情で、検討したこともないのです。学習の目的を考慮することなく、既定路線通りの学習を繰り返してきただけなのです。

 ことばと文化の融合というのは、韓国語と韓国事情を同時に学ぶという意味でもあるかもしれませんが、私はもっと深く捉えています

 これまでの教育は、ことばを記号のように扱ってきました。記号というのは、日本語から外国語にどう変換するかという「変換方法を学ぶ」ということです。でも、文法事項だけをただ並べられてもモチベーションが上がりませんよね。
 文法だけでは実践に使えないので、「使える」設定を取り入れました。「旅行」です。ホテルとか空港とか、万国共通の設定・環境でのシチュエーションを想定し、情報伝達のためのことば(旅行会話、日本人と韓国人の会話など)を扱うようにしたのです。
 旅行会話を取り入れてもなお、学習時間は、ほぼ文法マスターのために使用されます。「旅行会話」というごく限られたシチュエーションの情報伝達であるにもかかわらず、活用や発音法則といった「文法マスターを目指す」立て付けであるという矛盾を残したままに。
 さらに、ことばには上記のような「情報伝達」の領域の他に、日本社会と異なるシチュエーションや人間関係、価値観などが見られる「意味世界」の領域があります。
 その国の人ならではの暮らし、人間関係、精神世界といった、ネイティブが持っている身体知や暗黙知を背景にした言葉は、「旅行会話」や「日本人と韓国人の会話」といった情報伝達で用いるというより、「ネイティブ同士のやり取り」や「ドラマや映画」で広く見られるものです。
 これらは、旅行者が知るべき「韓国事情」というより、KPOPやドラマなどのKコンテンツを楽しむためのものであり理解に役立つものです。とはいえ、コンテンツをただ見て聞いているだけで学べるものではありません。(コンテンツに多く触れている人は、文化を学ぶ土台ができているため、学びやすいというメリットはあると思います)

 外国人に日本語を教えるときに、日本語の文法構造だけでなく、日本にはサッポロ一番というロングセラーのインスタントラーメンがあり、キリンラガービールというビールがあり、明石家さんまというお笑い芸人がいるという事情、くらし、生活、人間関係も併せて伝えるようなものです。学びに色取りを添えたいのです。

異文化リテラシー

 「ことばと文化を融合させた学び」には、単なる外国語、異文化を知るだけではない、さらなる狙いがあります。
異文化や他者に関する知識があり、それを甘受することが出来る力を「異文化リテラシー」といいます。「ことばと文化を融合させた学び」の目指すものは、他国・他地域との相互理解を深めることであり、それこそがリベラルアーツ教育(教養教育)の神髄です。

 日本の外国語教育は、言語運用力をつけさせようという思うがあまりに強かったがために、「異文化リテラシー」の観点がびっくりするほど抜けています。教育現場では、言語の運用力を培う文法学習に全ての時間と知性を割いてしまったのです。
 それを是正しようと、「生きた」韓国語という名の「コミュニケーション能力」重視の教育という考え方も生まれましたが、こちらも「文法指導」が「発話指導」や「発音指導」に取って代わっただけなのが実情です。異文化リテラシー教育とはほど遠いものなのです。

新しい外国語教育

 これまでのように、言語だけに特化した教育ではなく、文化を取り入れることで、「異文化理解教育」を進めていくことが私の提言する新しい外国語教育です。

 これまでこの教育が進まなかったのには理由があります。文法教育と違って、文化を体系立てて教育する指導内容が定まっていないのです。ことばと文化を融合させて「教える」となると、厄介な問題が起こります。
 一人の指導者の問題関心や専門領域には限界があるからです。学者は普通専門ごとの縦割りで、言語学の専門家は言語学の知識は一級でも、文化的な知識は相対的に欠け、三流になってしまいます。
 さらに、ことばと比べると、文化は個別的・具体的かつ流動的なものでもあるので、「コード」として抽出するのが至難の業なのです。例えば大衆文化は変化が激しく、全体知の中で把握するのは大変なことです。個別性が強く、学習者の好みもそれぞれです。KPOPは興味ないけど映画は好きという人のようにです。

 朝鮮語教育の草創期を担ってきたのは誰でしょうか。「朝鮮語とは何か」という内部構造を探っている言語学研究者や、言葉の深い世界を探る文学研究者です。今や絶版となっている梅田先生や管野先生といった昭和のスーパースターの語学本には、恐ろしいほどの緻密さと博識さがあり、言葉の深みだけでなく文化にまで目配りしていました。現在の韓国語教育やテキストは、この昭和のスーパースターが作った学習書をマイナーチェンジしながら進化してきました。
 文法を体系立てて身につけさせるだけでも大変なので、まずは文法を中心に、そして、言語研究者からすると門外漢の文化を少しずつ、もしくは学習者が独学でどうぞ、という現在のスタイルになったのです。文化を無視しているわけではありませんが、結果的に後回しになったのです。


 平成の時代の韓国語学習は「文化が不在」でした。昭和の時期も様々な目標の下に学習者は頑張ったのでしょうが、「朝鮮人参」「パンソリ」「キムチ」「儒教」「歴史」といった渋い文化に興味を持つ人が、いないとまでは言いませんが少なかったのです。何より学習者が知っている文化的なネタがびっくりするほど何もなかったのです。そういう時代は英語学習のように「無味乾燥でも文法という公約数的な概念をまず広く教えて、各自フラグの立つ文化を学べ」というカリキュラムでも良いと思います。むしろそうしないとダメでしょう。

 ですが今は?
 KPOP、ドラマなど魅力的な文化に溢れていて、文化にフラグが立ち、ことばにならない暗黙知や身体知、文化的は背景にも興味が芽生えています。昭和とは環境がまるで違うのに、頑固にそのスタイルを業界は変えていないのです(笑)。

 ことばと文化がセットなのはもちろんのこと、教養レベルであれば、文化多めでもいいくらいと思っているのは私だけでしょうか。
 ゴリゴリ活用を練習しても、推しの人となりの理解からは遠いということに、学習者は薄々気付いています。「使える・生きたフレーズ」という定型のアウトプットのみの世界では物足りない、むしろ情報伝達だけなら機械翻訳で事足りると気付いていますよね。

 「ことばが先、文化が後」ではなく、「言語領域」と「文化領域」の2つの領域をバランス良く進めていくべきだと思うのです。こちらが「4技能バランス良く」よりも必要なバランスではないでしょうか。大学教育の第2外国語でもそうですが、かりに1年しか学ばないのであれば、ことばのマニュアルよりも文化的なことを深めた方が生産的な可能性だってあります。いわゆるフツーの人が学ぶ外国語新しい教育の形を考えるべきでしょうね。

ここにスポットライトを当てたので、NHKラジオのステップアップハングル講座は初心者でも楽しめる部分があったのだと思います。

言葉だけ、テスト対策だけに追われて、「実態のない、意味の無い既製品・規格品」ばかりの学習ではなく、学習者の知っている文化から入り、それを深めてことばも絡める、そんな力業(ことばと文化の融合)にもそろそろ本腰を入れていくべきだと思っています。







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