富も名声もいらないがやりたいことだけはある、と1月6日の日記
新年早々、北から南に動き回る生活を続けています。
そもそも11月の中頃から続けている“ふくしまテレワーク”のおかげで僕の2020年は息を吹き返しました。
完璧に“攻守逆転”した、去年
2020年が、あってよかった。
心からそう思っています、今は。
それに、いろんな地域や施設を回りながらリモートワークする生活スタイルが、こんなにも自分にフィットするとはおよそ想像していなかった。
いろんな地域のいろんな人に会い、お話をする中で、自分にないものに気づくことも多くある反面、自分がお役に立てること、つまりは他の地域に行って見てきたものを「情報」として伝えたりすることが、案外そこに定住している人たちに必要とされるということがわかってきました。
これは、自分自身が一箇所に定住して動かなければわからなかった(というか見えなかった)ことなのだと思います。
特に、今こういう時代にあっては、「動かないこと」の理由を説明するのはもはや、小学生でもできるわけで、逆にこういう時期に「なぜ動くのか?」を、理由をもって説明できる自分は、もしかするとすごく恵まれた立場にあるのかも知れません。
ただ、こういう自由の裏にはいろいろと犠牲にしている物もあるのは確か。
妻は、東京の自宅に一人でいるし、娘は、地元会津の実家に預けています。僕が一人動き回ろうとしても、ただ何も目的もなく放浪の旅に出られるわけではありません、当然です。
僕には僕の「今後の目的」があり、それに向けて淡々と準備を進めているわけです。
守っていた上半期から、攻めの下半期だった2020年。
東京から地方へ
実は、この10年間そればっかりを考えてきました。
仕事をしていても、あるいは、そうでない時も。
どうすれば今この目の前のことと、地元の生活とを結びつけることができるのか?それだけを真剣に、時にはうなだれながら、考えることをやめませんでした。
そうしていたら、いつの間にかこうやってその二つが重なり合ってきた。
やらねばならないことの二つの側面である『義務』と『使命』が、どちらも同じ方向を向いている今、僕にとって、毎日が楽しくて仕方がないんです。
こうした生活を続けていると、いろんなところから声をかけていただくことが増えてきます。
それは仕事になるとかならないとかいう、“みみっちい話”ではなくて「自分が今、手掛けている新しい案件について話を聞いてくれ」だとか、「今後学びたいことがあるので、その分野で誰か知っていたら教えてくれ」だとか。
同じく人生の分岐点にいる「仲間」から声がかかる。
で、当然僕は自分の知っている範疇の中から、もしくは人づてに新たな話を聞いたりなどして、彼らに有用な情報を集めてお返しする。
有名になりたいわけではない。影響力も僕には必要ない。
僕は、ただただ「声のかかる人」でありたいとは思う。糸井さんがよく言う、「あいつ、呼ぼうぜ」の「あいつ」でいたい。多くの人にとっての。
声をかけてもらったからには、その人のためになる「時間」と「お金」と「気」という自己資産をせっせと配りたいと思っている。
この考え方は、いつも参考にしているWasei Salonの鳥井さんから。
参考にしているブログはこちらです!
「オンラインサロン」とやらは、もうこれだけで十分な気がしてる。
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1月6日(水)
郡山で目覚める朝。この日もまた早めに起きてしまった。6時。
郡山の街は意外と知ってるところが少なく、地元の人に聞かないとわからない。この日は、朝から近くの『まねきの湯』というスーパー銭湯に行って、サウナもしっかり取り組んできた。
朝から、極楽である。
前日に一緒に食事に行った方の自宅に泊めてもらい、朝はそこでコーヒーを淹れたりなどして、話をしながら時間を過ごした。
お昼頃になって、いつものブルーバードへ移動。作業を少しした後、そこの喫茶室で名物のカレーを食べる。この日も日替わりのカレーでとても美味しかった。
写真は完全にブレブレでした。
夕方まで作業をして、18時過ぎの磐越西線に乗り、会津へ。
そこから会津鉄道に乗り換えて、実家最寄りの駅へ。無人駅がこの辺は多い。
降りて、実家に着くと3日ぶりの娘が飛びついてくるのは、さすがに嬉しかったな。久しぶりに、ぎゅーってした。
夕飯を妹夫婦と食べて、ゆったりして妻に電話をかけたらもう眠くなってそこからあまり記憶がございません。
というわけで、実家のある会津に帰ってきています。
ぼくも誰かの応援をしようと思います!