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『岸惠子自伝』に導かれて

一冊の本が、別の作品のもとへ導いてくれることが、ときどきある。
最近手にした『岸惠子自伝』(岩波書店)もそんな一冊だった。
導かれた先は、市川崑監督の『おとうと』。本作は岸惠子が出演した初めての市川崑映画である(1)。
『岸惠子自伝』の312頁には、市川崑監督が岸惠子に直接演技する写真が掲載されていて、なんとも味わい深い。「本を読み終わったら、岸惠子さんの出演作を見てみよう」と考えていた私は、この印象的な写真に強く惹きつけられて、迷わず『おとうと』を見る作品に決めてしまった。

映画『おとうと』の原作である幸田文の『おとうと』(新潮文庫)を、私は高校生のときに読んだ。ストーリー全体は曖昧にしか覚えていなかったが、一箇所だけ鮮明に記憶しているシーンがあって、それは病室で姉が弟を看病する場面だった。
肺病で入院する弟・碧郎に、姉・げんは鍋焼うどんを食べるよう促す。すると碧郎は「ねえさんおあがりよ」と言って、姉も一緒に鍋焼うどんを食べるよう勧める。これまで一つの鍋をつつきあって食べたことがないのと、肺病でふせる弟が口にしたあとということもあり、姉は一瞬食べるのを躊躇してしまう。
碧郎は鍋焼うどんを通して姉を試してしまったことを詫び、「おれは悪党だ。肺病が悪党なんだ」と口にしたーー。
姉弟の関係に流れる愛情と、病が生じさせる物悲しさを感じさせるこのシーンは、映画『おとうと』の中で見事に映像化されている。とくに姉・げんを演じる岸惠子の表情は格別であった。

以前、映画『炎上』を見終わったときにも感じたことだが、小説の原作を映画化した市川崑監督の作品は、原作を一読したときには気づけなかった物語の魅力を読者に伝えてくれる。昨今では、「原作が映画化されると世界観が壊れる」という批判もよく耳にするが、市川崑映画ではそんなことはない。「世界観が壊れる」どころか、より世界観を強固なものにしてくれる。
加えてこの達成には、俳優の演技力も欠かせない。『おとうと』の場合には、姉を演じた岸惠子をはじめ、出演する俳優陣の演技力があってこそ、幸田文の原作の魅力を発見することができた。
今後も、市川崑監督作品および岸惠子出演作を見ていきたいと思う。

【脚注】
(1)岸惠子は『岸惠子自伝』(岩波書店)の中で、映画『おとうと』について以下のように述べている。
「市川監督との初めての映画は『おとうと』(一九六〇)だった。画面はうっすらとセピアがかった「銀残し」といわれる、市川監督が発明した、素晴らしい映像技法で全篇が覆われた。この「銀残し」は世界中の映像作家が驚き、真似をしたという。」(P.312)

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