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掌編小説「ありふれた夏、火花の咲く夜」

 瞼を閉じても浮かぶくらいに、キラキラと光っていた。色とりどりに咲いては散って、覆い尽くすような闇をにぎやかに彩っていく。
 そんな花火が、私は苦手だった。目がチカチカするし、手持ち花火は煙がひどいし、打ち上げ花火は音が大きくて。
 だけど今、私はこうして海辺に座って、皆が花火をしているのを見ていた。はしゃぎ回っている彼らを見ていると、ああ、青春だな、としみじみ思う。まるで絵に描いたような夏の光景が、そこにあった。
「日茉ちゃんは、花火、やらないの?」
 声を掛けられて振り向くと、そこには背の高い男の子が立っていた。声だけは聞いたことがある。グループ通話で、よく話す相手の一人だからだ。
「青くん」
 彼は私の隣に座り込んで、手持ち花火を二本、私の目の前で揺らした。
「花火、苦手なんだ。みんなには会ってみたかったから、来てみたんだけど」
「そうなんだ。まあ、なかなか会えるものでもないからね」
 私たちは、通信制大学の学生で、普段会うことはない。いつもネット上で情報交換したり、課題の愚痴を言い合ったり、くだらない話もしたりしているけれど、実際に会うのはこれが初めてだった。
「日茉ー、青ー、こっちおいでよ!」
 はしゃいでいた中の一人、声から察するに詩帆だろうか、彼女がこちらを見て手を振る。青がこちらを気遣うように見るので、私は微笑んだ。
「まあ、たまにはいいかな、花火。せっかくだし」
「お。じゃあ行こうか」
 私たちは立ち上がって、光の方へ歩いて行った。

「日茉ちゃん、花火苦手らしいから、あんまり無理させないでね」
 青がそう詩帆に伝えてくれた。通話のイメージそのままの紳士だな、と思う。
 詩帆はまとめ上げた茶髪を揺らして、私のそばに駆け寄ってきた。
「そうだったの? ごめん」
「いや、大丈夫だよ。そんな、死ぬほど嫌ってわけじゃないし。ちょっと眩しいのとか煙が苦手なんだ」
「そうなんだ。じゃあ、そんな日茉におすすめなのは、これ! 煙が少ないタイプのも用意してたんだよー、普通のよりは眩しくもないし」
「本当? ありがとう、詩帆」
「いえいえ」
 渡された花火の先を、潮風に揺れる蝋燭の火に近づける。今日は風が弱いのか、火は消えることなく保たれていた。
「あたしもね、光とかにちょっと敏感なときがあってさ、でもこれと、あと線香花火だけはできたんだよね。だから、お墨付き」
 にっ、と詩帆が笑った。「それなら、私も大丈夫かも」と返すと、その瞬間、花火に火が付いて、金色にぱちぱちと光りはじめた。
「あ、綺麗」
「でしょでしょ? 色も変わるんだよ、これ」
「へえ」
 不意に、パシャ、と音が聞こえて、思わず振り向く。そこには本格的な一眼レフを持ったすばるがいた。
「あ、ごめん、花火見てていいよ! ほら、色が変わってる」
「あ、本当だ」
 慌てて花火に目を映せば、金色だった火は青く変化していた。
「海をバックに青い花火、うん、いいね」
 すばるは花火はせずに、スナップ写真を撮るのに夢中らしく、なにやらぶつぶつと言いながらカメラをいじってはパシャパシャと音を鳴らしている。
「女子組が浴衣でも着てきてくれたら、最高に映えたんだけどな」
「レンタル代出してくれたら着たけどね」
 すばるの言葉に、間髪入れずにそう詩帆が応えたので、思わずふふ、と笑ってしまった。
「あ、今のいい笑顔、撮り逃した!」
「残念だったね、カメラマンさん」
 私はあんまり写真に撮られるのは得意ではないし、ちょっとラッキー、と思う。すばるの腕なら、それなりに良く写るのかもしれないけれど。

 そうしているうちに一本目が終わって、新しい花火を選んでいると、背後から涼介がふざけているのが聞こえてきた。
「青! 見てこの、ウルトラ二刀流!」
「何がウルトラなのかさっぱりだよ」
 振り返って見てみると、涼介は二本の花火を踊るように動かしながら、ぐるぐると回っていた。ネットで話している時のイメージそのままの、ちょっとおバカな涼介である。さっき私が座っていた時に一番はしゃぎ回っていたのも彼だ。
「でもこれは動画映えじゃない?」
 と、横から詩帆が顔を出して、スマホで動画を撮り始めた。
「リールに載せよっかな」
「そこはストーリーにしてよ、恥ずいわ!」
 涼介がヘンテコな踊りを続けながらそう言った。ストーリーならいいのか。
「仕方ないな。まあ、あたしもこの変人が投稿欄に混じるの嫌だし、ストーリーにするわ」
 詩帆が動画を止めて、スマホをポケットに仕舞った。
「さ、残りの花火でもしよっか」
「うん」
 まだまだ花火は残っている。スーパーで一番大きな花火セットを買ってきたので、なかなか減らないのだ。花火をやらずに、撮影に夢中な約一名もいるし。
「せっかくだしさ、あれやろうぜ、花火で文字書くやつ! すばるのカメラなら撮れるだろ」
「涼介にしては、いいこと言うじゃん。でも、日茉は大丈夫?」
「うん、だいぶ目が慣れてきたし、大丈夫だよ。ありがとう、詩帆」
 自分でも不思議なくらい、花火への苦手意識はいつの間にか薄れていた。光の眩しさも煙もほとんど気にならなくなって、代わりに、純粋に楽しい、と思えるようになってきて、自分の変化に驚く。
 みんなが、私を当たり前に仲間に入れてくれるからかもしれない。思い出の中の花火はいつも、誰といたって一人ぼっちで、楽しいなんて思えなかったから。
「じゃあ、五人だし、五文字で、なんだ? 何にする? 『せいしゅん』とか?」
「ダサっ」「ダサいな」
 涼介の提案に、詩帆と青が同時に突っ込む。
「まあまあ、こんなに花火あるんだし、いろんな文字作ってみたらいいんじゃない?」
「すばるは、いろいろ撮ってみたいだけでしょ」
 軽口を叩きながら、私は花火を選び始めた。
「でもまあ、それもそうだね。そんなことでもしないと使い切れない量だ」
 青も花火を一本手に取った。
「それじゃ、決定な! 青春セイシューン!」
 涼介が花火を宙へと向けて、高らかに宣言した。

 みんなでわいわいと、いろんな文字を書いたり、図形を書いたりしているうちに、花火は残すところ、噴き出し花火と線香花火だけになった。
「どっちフィナーレにする?」
 青が二つを手に取って尋ねると、涼介が勢いよく「ハイ!」と挙手した。
「絶対、最後は噴き出し花火がいい! 線香花火は寂しいし、人数で割れる数じゃないでしょ」
「……なるほど」
 前者はともかく、後者の意見はとても論理的だ。
「ってことで、今から線香花火、誰が一番長くできるか大会!」
「はいはい、一回だけね」
 詩帆が呆れたような口調で返すも、表情から乗り気なのが伝わってくる。彼女はゲームも好きだし、こういう勝負事には燃えるタイプなのかもしれない。
 配られた線香花火を手に、全員で一斉に蝋燭の火にその先を向ける。多少火の付きはじめにばらつきはあったけれど、そこまで差がつかずにスタートした。
 小さく火花を散らし始めた線香花火を見ていると、なんだか和んだ。純粋に、綺麗だな、と思う。まるで静かに生まれた命が、息を始めたみたいだ。線香花火は、生き物の一生に似ているかもしれない。
 しばらくみんな黙り込んで集中していたけれど、途中で「あっ」という声が上がった。意外にも、青だった。
「僕、実は線香花火苦手なんだよね。最後までいけた試しがない」
「へえ、意外」「得意そうなのに」
 話していると、もう一人、火の玉を落とした。
「ああっ、最悪! 負けた。集中力が足りなかったか」
 詩帆だった。本気で悔しそうに両手で顔を覆っているのが、視界の端に見える。
「惜しかったね」
「全然でしょ。下から二番目だよ! 涼介より下だし」
「おいおい、俺のこと見下しすぎだろ! って、あ」
 涼介の火も落ちる。なんとも彼らしい終わり方だ。
「ああー、詩帆のせいだぞ」
「はぁ? 自分がちゃんと見てなかったせいでしょ」
「まあまあ、喧嘩はよしなよ、って、あ、落ちちゃった」
 すばるも呆気なく終えて、いつの間にか私だけになってしまった。私の花火は、元気よくパチパチと火を散らしている。
「頑張れ、日茉! ここまで来たら、あと少しだよ!」
「日茉ーっ、ファイッ!」
「うん、いい写真が撮れそう。もう少し保って!」
「おお、すごいな……」
 大会の趣旨はどこへやら、みんな私の花火を応援しはじめた。でも、それがちょっと嬉しくもある。私もこの花火を、最後まで見届けたい。
 激しく散っていた火花は、だんだんと静かになり、最後の花弁が落ちた後、明かりはすうと消えていった。
「日茉、上手すぎ! すごいよ」
 詩帆が興奮気味に私の肩を抱く。ちょっと照れくさくて、私は頬を掻いた。
「えへへ、ありがとう。私も、最後までできると思わなかったから嬉しい」
「優勝者はーっ、日茉さんでした! おめでとう!」
 涼介の言葉に、他のみんなが拍手する。
「優勝された日茉さんには、えっと、特に何も考えてなかった」
「だろうね」
 青が肩を竦めた。
「あ、じゃあさ、一つ願い事をみんなで叶えてあげる、とかどう? できる範囲でだけどさ」
 すばるの提案に、「いいね」と皆が賛同する。
「願い事、かぁ」
 みんなに叶えてもらえる範囲の願い事。なんだろう。
 少し考えて、私はこう言った。
「じゃあ、また、みんなで集まって遊んでほしいな。どう?」
 四人は顔を見合わせた。
「……そんなん、頼まれなくたって遊ぶって! かわいいな、日茉はまったく」
 詩帆に抱きつかれて、私はおろおろしながら他のみんなの顔を見る。みんな、私を生温かい目で見ていた。
「日茉ちゃん、純粋すぎるよ……」
「俺だったら、ステーキでも奢ってもらうのに。俺ががめつい人間みたいじゃないか」
「涼介ががめついのは事実でしょ?」
「それはそう」
 男子組のやり取りに、思わず吹き出してしまった。
 でも、そうか。これで終わりじゃないんだ。贅沢にも思えたお願いは簡単に受け入れられて、その空気が、妙にくすぐったかった。

 長かった花火も、残すところは噴き出し花火のみになった。青と涼介が、二つ入っていたそれに同時に火を付ける。
 その瞬間、火花は高く噴き上がって、海辺を明るく照らし出した。キラキラと眩しく光るそれを、五人並んで眺める。
 不意に、涼介が口を開いた。
「俺たちってさ、普通ではないかもしれないし、遠回りもしたかもしれないけどさ、それも、こうやって皆と出会えたんだから、悪いことばっかりじゃなかったよね」
「急に真面目だね? ……でも、そうだよなぁ。今日みたいな日が来るなんて、一年前の僕に言ったら、きっとびっくりされるよ」
 青がしみじみと応える。他のみんなは無言だったけれど、それは肯定のように思えた。
 学校に行けなくなった人、学費で通学を諦めた人、病気を抱えている人。ここにはそんな、いわゆる『普通』の大学生とは少し違うかもしれない人たちが集まっていて、でも、それでもいいんだ、って思う。そんなふうに思わせてくれる、仲間がいる。
「……今日、来て、みんなに会えて、良かった。本当に、良かったよ」
 それしか出てこなくて、口下手な自分が恥ずかしかった。でも、みんなは笑わずに、「そうだね」と言ってくれる。
「来年も、やろうね、花火」
 その言葉を合図にするように、ふっと花火が消える。私はその残像を、一生忘れないくらいに目に焼き付けた。

*この小説はKUA通信所属の学生有志で制作した合同誌『レイトサマー・アンソロジー』への寄稿作品です。
見出し画像はたくみ様よりお借りいたしました。

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