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生きることを基準で考えてしまう

何かを始めようとする時、必ず頭によぎる言葉

それで生きていけるのか?

好きなことや興味あることを始める時、毎回のように頭によぎってしまうのだ。

結果、様々なものに手を出してはこれでは生きていけないと諦めてしまう。

※今までしたこと
・色彩検定
・CAD
・簿記
・FX
・イラスト
・英語
・羊毛フェルト

などなど他にもあるが割愛。

純粋に好きだから楽しみたいのに、やりたいだけなのに、あわよくばそれで食べていけたらという、ふにゃふにゃした意思のない甘い考えがある。

勉強した中にはそれで仕事に就けるものもあったが、そういうものに限って何故かしっくりこず途中放棄してしまう。上記の例でいうとCADや簿記がそれにあたる。

器用貧乏

そんな言葉がまさにピッタリである。

世の中は、一つの目標や物事を成し遂げることを美徳とするところがある。

好きなことを仕事に、なんて言葉にも踊らされる。

私自身がそれを羨ましく思っているから、何か突き通せるものがほしいと思ってしまうのだろう。

子供の頃から1つのスポーツをやり続けたり、研究し続けたりしている人にとても憧れる。

ただ、その憧れにはネタミも同居しているのだと思う。

そんな考えに染まっているからこそ、あちこち手を出し自信もつかず諦めてしまう自分が情けなくなる。

それでも考え方を変えれば、様々なことを知っていると捉えることもできる。

周りから見れば芯のない人と思われるだろう。

自分でもイヤになるが、私の場合、生きるための仕事と興味あることは分けて考えたほうがいいように感じている。

それでも興味あることで副業できたらとまた考えてしまう。

堂々巡り。

その根底にはお金に対する執着なのかもしれない。

宝くじでも当たってお金があれば何の気兼ねもなく好きなことに没頭できるのだろうか。

純粋に好き、それだけで生きている人が羨ましい。

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