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『すばらしき世界』感想/たまたますばらしきこの世界で、わたしは今を生きている

(※ネタバレあり)

楽しく生きていたい。
だからわたしはそのために、向いてることをしていたいと思っている。
やりたいことがあって、それがもし自分に向いていて、しかも運良く、誰かのためになったりなんかしたら。それは最高だと思う。

でも、たとえば自分にいちばん向いてるものが暴力だったとき、この世界でどうやって生きていけばいいんだろう。

わたしはこういう映画を観た時、自分がどれだけ恵まれているかってことに立ち返る。いつも本気で思っているつもりだけど、それでも、改めて、自分は恵まれているって思う。
性格的にそんなに生きるのに向いている方ではないと思うけど、でもどんなに苦しいことがあったとしても、それを思い出して、生きていけるだけの何かが、自分にはあるのだって思うのだ。

三上さんは暴力が得意で、その得意を行使すると褒められて、それが嬉しくて今日までの人生を暴力漬けで生きてきた。三上さんとわたしは全然違うけど、でもあんまり自分と変わらないところがある(映画はそういう自分と自分の知らない世界との繋がりを教えてくれる)。

藪から棒にわたしの話をすると、わたしはラッキーなことに、たまたま小さい頃から勉強が得意だった。自慢みたいになってしまうが、どういう勉強をすれば良い成績を取れるかなんとなくわかったし、人より遅く勉強を始めても、グングン成績が伸びて、周りを追い越していった。
そして勉強をすると、周りが褒めてくれる。両親が褒めてくれる。先生が褒めてくれる。学校で順位が付いて、おれは凄いんだ、優れているんだって、示してくれて、嬉しかった。
他人に誇れるものがなかった自分にとって、それが唯一と言っていいくらい、自身のプライドを保てるものだった。

逆にいうと勉強以外のことはかなり不器用だったので、もう二度と味わいたくないような苦労も恥ずかしいことも沢山あるけど、たまたま良い大学に入れて、いま、いわゆる「社会人」として日々を生きられている。

たまたま得意なのが勉強で良かったって思う。
たまたま足の速さだとか、力の強さだとかより、テストで何点取ったみたいなことが、そこそこ大事にされる社会だったので、こんなわたしでも人並みそこそこの暮らしができている。
たまたま、両親に自分を学校や塾に通わせるだけの余裕があって、たまたま友人が居てくれて、たまたま立ち直れないほどの挫折をすることがなくて、たまたま事故に遭わなくて、たまたま死を選ばなくて、たまたま、たまたま。たまたま。

たまたまわたしは、今を生きている。

この映画は、人生の大半を刑務所で過ごした三上正夫という人の人生の、ほんの少しを切り取った『だけの』映画だ。
意図した演出だと思うけれど、役所広司さん演じる三上正夫という人物に、かなり焦点を当てこんだ作りになっている。つまり、役所広司さんの演技力に、映画の出来全てが一任された映画とも言える。
そしてもちろん、役所広司さんはその期待に充分に耐えうるだけの役者力を発揮していて、この映画を素晴らしいものたらしめている。

わたしが最初に涙したのはお風呂場のシーン。仲野太賀さん演じる津野田が三上さんの背中を流すシーンで、これも意図してだと思うが、三上さんの表情が一切映らない。画面に映るのは三上さんの背中だけ。なのにその背中と、端に映る首の小さい動きだけが、津野田の問いかけに対して十二分に応えていて、たまらなく泣けてきた。
役所広司さん、凄すぎる。そして役所広司さんへの全幅の信頼がないと、こんな演出は選べなかっただろう。地味なシーンだけど、凄まじいシーンだと思った。

物語の最後、三上は亡くなってしまう。死因は持病によるものだ。
でも果たして、そう言い切ってしまっていいのだろうか。
三上が持病で亡くなったのは、おそらく薬が切れていたからで、最後に薬を使ったのは、やっと見つけた職場でイジメを見過ごしたストレスで心臓を痛めてしまい、薬を飲んでしまったからだ。
三上は「死んでしまうわけにはいかない」と繰り返し言っていた。せっかく見つけた職を失って、死んでしまわないように、いつもだったら完全にキレているところで、愛想笑いを浮かべて、イジメを見過ごしたわけだ。

でも、もしあそこで自分に正直になって、いつも通りキレていたら、確かに職は失っていたかも知れないが、持病で死ぬことはなかったかもしれない。
もしそうだとすると、なんと皮肉なことだろう。

人は誰しもいつか死ぬ。そして死因がつけられる。老衰かもしれないし、病気かもしれない。事故かもしれないし、自殺かもしれない。
でもそれは本当の死因と呼べるんだろうか。
病気になったきっかけがどこかにあったかも知れないし、事故を起こしてしまうような原因が何かあったのかもしれない。

この国は平和かもしれないけれど、何がきっかけで死がやってくるかなんて、本当のところはわからない。

別に「三上は社会に殺されたのだ」なんて、仰々しいことを言うつもりはないけれど、
美しい空の下、広がっているすばらしき世界の中で、わたしはたまたま今を生きている。

たまたま、幸運にも、この世界にすばらしさを見出せている。
そのことは、忘れられないと思った。

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