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【十種神宝修行日誌(11)】鎮魂のための内観習得もありかも

開いてくださりありがとうございます。
アヲイロカナリヤ(略アヲカナ)です。

今日から、講義の勉強に充てる時間を増やすべく、30分で書くチャレンジスタート!です。(突然いま、ひらめきました(笑))


<この連載は>

『十種神宝(エンペラーコード)』使いのみなさまと同じ志をもって弥勒の世の岩戸を開く踊り子の一人となるべく、その修行の記録や氣づきをつづっております。
どこか一片の「言霊」でも、お読みくださいました方にお役立ていただけましたら、この上なく幸いです。

☆ 『十種神宝(エンペラーコード)』は、
白川伯家神道を伝えている白川学館監修
 ”宇宙創造・現実創造の原理、言霊の究極奥義”  を伝授する講座です。

👇 前回までのお話は、こちらのマガジンにてご参照いただけます。


【22日目の修行日誌】

本日は「自分を自分で指揮すること」を特に意識して動いております。
午前中に少し散歩ができたせいか、氣分は真ん中より少し高いところでおおむね平坦に保てています。

今日のサムネ写真は、朝露のきらきらビーズをたくさん乗せた季節外れのアカツメクサです。

本日も、食事の行と瞑想(祓い、鎮魂)をしていますが、食事中はあれこれ「雑念」が多かったです。昨日のこと、今朝の夫とのやり取りで引っかかっていることなどを氣づくと考えていました。

昔から、少し前に入った情報(外部からの刺激)を反芻することの多い脳ですので、わたしには普通のことだったのですが、最近、自己肯定感が養われてきたことや鎮魂を練習しているのとで、そういえば反芻は少なくなっていました。
たぶん、反芻する時間が短くなったのだと思います。
引っかかっている出来事をすぐにしょうか(消化、昇華)できるようになってきたのは確かです。

その要因は、わたしの場合は、「内観」の練習をずっとしてきたことかなと思っています。

方法はいろいろあると思いますが、「中今」「鎮魂」状態にいつでもいられるようになるためには、「内観」をマスターする方法もありではないか、とわたしは思っています。

わたしは自分に何か大きな問題*が起きた時は、かなり深い「内観」をするのですが、必ずと言っていい確率で、最後に「スパン!」と解決できる「考え方」を得ます。

*昨年、顔に転んで顔に大怪我したときや耳の帯状疱疹を発症したときのような単独事故?だけでなく、対人関係の問題が起きたときもそのように捉えて内観しています。
100%、自分の問題として解けるのです。最後はかならず、問題、相手は自分のその氣づきのためにあるとの結論に至りました。
そんなことから、「自分の目の前にある世界は自分が創ったものだ」と考えられるようになったのかもしれません。

これ、思い返してみると、昨日書いたような、瞑想中にどこかからやってくる「想念」と同じところからきているような氣がします。

1年ほど前から、動画や本で知った「六方拝」のようなものを寝る前にするようにしています。ご先祖様に感謝することを、「ほぼ」ですが毎日続けてきたことで、遠津御祖神(とおつみおやのかみ)様に瞑想でつながってれているのだとしたらうれしいことです。

あ、ごちゃごちゃ書いていたら今日の瞑想中に、遠津御祖神様(かもしれないどなたか)から教えていただいたのかもしれないことを書こうと思っていたのに、何だったか忘れちゃった(^^;) 思い出したら追記するかもしれません

今日はこれで時間切れになりました!(10分オーバー!涙)


お読みくださりありがとうございました。

みなさまにも、とほかみえみため!


【ご質問受付のお知らせ】

コメント欄にてご質問を受け付けております。

なお大変恐縮ですが、一般の方より言語処理に時間を要する脳のため、
わたしの十種神宝の修行に関することで、お答えできる準備のできたご質問から翌日以降の本文の中でお答えしていきたいと思います。

大野先生の師匠の七沢賢治先生は、こう教えてくださっていたそうです。

日常の中、相手との間の中に修行がある
(大野先生のお言葉のわたしの意訳です。)

わたしもそれに習い、修行の一環としてチャレンジしたいと思います。

なにか氣になることがございましたら、コメントにてご質問いただければ幸いです。ドキドキしながらお待ちしております。



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