日常への賛歌 エーミールと探偵たち

たまに岩波少年文庫を読みたくなることがある。本当は子どもの頃に読んでおけば良かったのだけど、残念ながらほとんど触れることのない子ども時代を送ってしまった。子ども時代に読んでいたらもっと豊かな幼年時代、そしてその後を送れていたのではないかという期待と、多くを読み落としていたかもしれないという疑念がある。いずれにしろ過去に読むことがなかったのが事実であり、その時点で私には手に取るだけの感性がなかったということだ。しかし、こうして子ども時代に思いを馳せながら読むというのも一つの楽しみではある。

こういう、大人が子ども時代を思い返しながら読むという読書にケストナーは完璧に答えてくれる。もちろん、本全体としては子どもに向けたスリルと活劇の世界である。それでも大人の読書に耐えうるというのは、特撮ヒーローや魔法少女アニメが時にテレビの前に座る子どもの後ろにいる、新聞やコーヒー片手に見ている親に向けたメッセージをこっそりと投げかけるような様に似ている。

「エーミールと探偵たち」のあらすじを表紙裏から引用すると「おばあちゃんをたずねる列車の中で、大切なお金を盗られてしまったエーミール。ベルリンの街を舞台に、少年たちが知恵をしぼって協力し、犯人をつかまえる大騒動がくりひろげられます。」(岩波少年文庫)

となっている。一方でスレた読者の私といえば、本当にエーミールはお金を盗られたのか?何かの勘違いでは?という穿った読みをして、ケストナーのことだからハッピーエンドになるに違いない、だけどこのグルントアイス氏は本当に悪人なんだろうか?とか考えながら読んでいたりする。あんまり言うと初読の楽しみを奪ってしまうので詳しくは言わないけれど、そういう斜に構えた読書の姿勢をケストナーは清々しくも爽やかに正してくれる。この本を読み終える頃には、そうだ、子どもの頃の読書はもっと素直で真っ正直でスリリングなものだった!と心洗われるような思いをする。そういう読書の原初の喜びを思い出させてくれるのだ。読書が世界の読み方を教えてくれるとしたら「エーミールと探偵たち」は子どもの目で見る世界を再び見せてくれるような本だ。

そして、何よりこの本が、というよりケストナーがすばらしいのは、その行き届いた目線にある。もとよりケストナーは日常への敬意というものを描く人なのだけど、それはこの「エーミールと探偵たち」にもしっかりと刻まれている。市井を生きる人たちへの尊敬と愛情のこもった目線。それはエーミールの母さんであったり、ちびのディーンスタークくんであったり、新聞記者のケストナー氏であったりに現れている。個人的には、この子どもらしい活劇に満ちた世界の終わりが、ちびのディーンスタークくんへの言及で終わるところに、ケストナーの日常への敬意を感じずにはいられない。じんわりと感動してしまった。もちろん、エーミールと母さんの相互の愛情、家族愛が全編を貫いているのもこの作品をあたたかい雰囲気にしている。

世界は物語のようにはいかない、自分は決して物語の主人公ではない、それを学んで人は大人になっていくのだけれど、しかし「エーミールと探偵たち」は子どもの頃のように素直な目で見てみれば世界は活劇に満ちたものかもしれないということを思い出させてくれる。それと同時に「誰かがやるべきことをきちんとやる」という生活や日常の尊さを、誰もやりたくないけれど誰かがやらないといけないことを、当たり前すぎて誰の目にも止まらないことを、ケストナーは優しい光で照らしてくれる。

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