イヤミスの古典 「ABC殺人事件」
「まったく、ポアロ」わたしは言った。「その言葉を聞いたら誰だって、あなたがリッツ・ホテルでディナーを注文しているところだと思うでしょうね」
「ところが犯罪は注文することができない?たしかに」
ー「ABC殺人事件(早川書房 堀内静子訳)」
名高い「ABC殺人事件」。中学生の頃に読んで衝撃を受けつつも、どこかスッキリしない後味の記憶があった。今回久々に読んでみて、その後味の正体がわかった。
「ABC殺人事件」は、今日で言う「イヤミス」なのだ。
おそらく10年ほど前からイヤミスという言葉が出てきたように思うのだけど、「ABC殺人事件」こそイヤミスの原点。ミステリの女王クリスティはミステリの可能性をここまで予感し先取りしていた……というのは妄想の飛躍かもしれないし、もちろんクリスティの時代にイヤミスなんて概念はないけれど、1作1作がミステリの歴史を作ったクリスティにとって、こうした方向性もどこか感じていたのではないか……そんな風に想像してしまう。
いわゆる世間ではミステリは1回読めば十分というのが普通(?)らしいし、こうした数年ぶりの再読が感想として適切なのかはわからないけれど。
しかしクリスティに限らず、優れたミステリというのはトリックや犯人を知っていても面白いものだし、全てを知ってから様々な伏線の妙を味わう、いわば工芸品を愛でるような楽しみがある。ファーストインパクトの先にある作品世界こそ、本当に豊かなものではないかとも思う。そんな視点から犯人もトリックも知っている上で「ABC殺人事件」を読むとイヤミスという世界が浮かび上がってくる。
「ABC殺人事件」連続殺人、予告された殺人を防ぐことができない名探偵、疑われる周辺人物、ラストも不正ギリギリの犯人追求、結果生じるカタルシスの弱さ……そして冒頭に引用した、事件をディナーのように舌なめずりして待ち受けるポアロ。本作は、人命や正義や倫理など、大切なものをどこかに置いてきたかのような空虚さがある。はっきり言って作品世界が気持ち悪いのだ。そしてその気持ち悪さは、ポアロの造形にはっきり現れる。今回のポアロは犯人からの予告状が届いたために事件に向かうことになるのだけど、つまり、被害者の家族に依頼されてとか警察に頼まれたとかでなく、ただ犯人との対決を楽しむために存在している。だから、殺人を防ごうとか罪は裁かれるべきとかそういう善意や正義感はほとんどかんじられない。この事件におけるポアロは、殺人事件というフィールドで頭脳戦を楽しんでいるという趣で、どこで犯人に勝てるか、犯人を出し抜くにはどうするかとかそんなことを考えているだけだ。そして極め付けはこの作品最後の文章。ネタバレではない締めの一言なので引用してみる。
「で、ヘイスティングスーーわたしたちはまた狩りをしましたね、そうでしょう?スポーツばんざい!」(早川書房 堀内静子訳)
人が何人も死んでいる事件の最後の一言がこれである。もはやグロテスクですらある。これが犯人のセリフでもおかしくはない。英国のブラックジョークだろうか。
しかし、例えば「スタイルズ荘」「オリエント急行」と比べても若干異質に感じられるポアロの造形も、クリスティの意図だと思いたい。クリスティは、事件やトリックの性質に合わせて合理的な探偵役を造形する作家である。ポアロ最後の事件「カーテン」などもトリックのための世界設定としか思えない。ここからは妄想になるのだけど、クリスティが「ABC殺人事件」のプロットを考えた時に、探偵役の関わり方が決まってしまった。被害者が複数になるために犯人の造形もおのずと決まってくる。そうなった時に、クリスティは全体をイヤミスというトーンで仕上げることで作品としてのまとまりを作ろうとしたのではないか。だからこの事件の探偵役をミス・マープルやルーク警部に任せられなかった。ポアロという名探偵でしか「ABC殺人事件」を成立させられなかった。
ミステリにおける名探偵は、シャーロック・ホームズに代表されるように華々しい存在ではあるけれど、その本質は他人の事情を詮索し推測し、秘められた物事を暴き出すという気味の悪さ、気持ち悪さを持つものである。同時にそれはミステリを好んで愛好する読者についても言えるかもしれない。見知らぬ他人の事件に首を突っ込む名探偵、それを楽しみに読む読者、その快楽のために紙の上で殺される被害者がいる。そう捉えた時に「あなたたちのしていることは果たして趣味がいいといえるのかしら?」とクリスティはこの「ABC殺人事件」を挑戦状のようにしたためたのかもしれない。とはいえ、英国というお国柄か、クリスティは下品で扇情的になりすぎないように注意深く筆をすすめているのだけど。
本作に蔓延するどこか不快な空気、ねっとり絡みついてくる熱帯夜のような名探偵と犯人。これもクリスティの意図したコーディネートだと思うと、クリスティの先見性は脱ミステリの領域にまで及び、殺人事件が大好物の名探偵と読者に贈られたイヤミスの古典。そう思えるのだ。
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