狂気と冷気 アンナ・カヴァンの「氷」

アンナ・カヴァンの「氷」を読んだ。

めちゃくちゃ面白かった。
このめちゃくちゃ面白い、というのは「とても」とか「非常に」とかそういう意味でもあるのだけど「破天荒に」とか「支離滅裂に」という意味のめちゃくちゃでもある。混沌とした思考の濁流が押し寄せ飲み込み、凄まじい速度で流れていくような、そんな読書体験だった。

最初から最後まで一体何が起こっているのか全くわからない。迫りくる氷、世界の終末、アルビノの少女、謎めいた長官、そして狂気的な主人公という魅力的なイメージがアクセル全開で飛び込んでくる。だから、面白かったという私も何かを理解したり知見を得たりとかしたのではなく、何も理解できないけれどただただこの物語に魅せられ続けていたというのが正確なところかもしれない。

一応、あらすじらしきものを書くとすれば、何らかのスパイ組織(?)に所属していると思われる主人公が、長官と対峙しながら氷が迫る世界で少女を求め続ける……という感じになるのかと思うのだけど、これが本当のことかもわからない。それというのも、物語のあちこちで突然に情景がインサートされるからで、それが主人公の回想なのか、白昼夢なのか、妄想なのか何も説明されることなく突然現れて、そして突然終了する。その情景の終了は少女の喪失を伴うもので、主人公と読者は何度も何度も少女の喪失を体験する。そうした情景が繰り返されていくうちに、一体何が本当に起こっていることなのか、どれが回想でどれが妄想なのか、物語の基盤を見失ってしまう。物語は実は最初の場面から全く進んでいないのではないか、それとも全ては本当にあったことで分岐していく世界の物語なのか、白昼夢とも妄想ともつかぬ中で生きる主人公は正常なのか、主人公は本当に何らかの組織に所属する人間なのか、というような問いが渦巻いていく。

こんな調子だから読み進めていくと「ストーリー」という概念が崩れ落ちていく。鮮やかに描かれる様々なイメージの中で、ひたすらに繰り返される、主人公と長官の対峙、少女の喪失、迫りくる氷。読書の中で初めて酩酊感を味わったかもしれない。

主人公は長官の元から少女を救い出そうとしているのだけど、段々とその希求自体が、偏執的で狂気的な様相を帯びてくる。少女への欲望、あるいは嗜虐、支配欲が段々と現れ、いやそうした加害は長官が行なっているのではなかったか、と思うに至り、もしかして主人公と長官は同一人物なのか、長官とは主人公の妄想の産物なのか?実は長官が正しく主人公は狂気に満ちた犯罪者なのではないか?と可能性が脳内で広がっていく。

この主人公と長官の関係はポーの「ウィリアム・ウィルソン」のように捉えることも可能だろうしもしかしたら本当に同一人物かもしれないし、いずれにしろ真実はわからないのだけど、主人公が胸糞悪いサイコパスであることだけは段々とはっきりしてくる。

その文脈で「氷」を位置付けてみると、終末世界の「ロリータ」と考えることもできる。そうしてみると「ロリータ」の変奏として主人公をひたすら疑いつつ、こいつ本当に最低だな!と笑いながら「サイコパス野郎の観察日記」として楽しむ読書もできる。その場合「氷」の主人公はリョナ系で少女もヤンデレ気味なので、「ロリータ」よりもサイコパス度は高い。また別の文脈を出すなら、世界を覆いつくして崩壊させていく氷と少女の関係を切り取ると、セカイ系のようにも読める。主人公の追い求める少女が世界の終末とリンクしている。

いずれにしろ物語全体の、世界の荒廃と迫りくる氷、退廃と終焉、滅びのイメージに対して、インサートされる南洋のインドリ、叡智と豊穣、生命力が鮮やかな対比になっていて、この「氷」を一層際立たせている。

今度読む時にも、皮膚感覚として冷気を感じながら寒い日に読もうと思う。

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