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予兆

母が急逝した急逝した騒ぎちらかしていますが、ちゃんと思い返してみたら、その予兆のようなものはあったのです。

母が入院する10日ほど前に実家に帰った時、「ちょっと調子悪くてさ」と、明らかに元気のない母がそこにいた。そして、今思えば、「いつもと違うこと」があったのだ。

いつもなら、「明日仕事なんだから少し早めに帰りなさい!」と言う母が、

「もう帰るの?まだ帰るんじゃない〜」

と引き留める。

いつもなら、料理上手チャキチャキ愛情系の母は食べきれないくらいのお惣菜やら野菜やらを持たせてくれるのに、

「何にも作りたくなくて、ローソンのおにぎり食べてるの」
「おいしいよ、ローソンのおにぎり」

とか言い出すのだ。

っぇえ?
ローソンのおにぎり食べに実家に帰ってきてるわけじゃないんだよ!

とイラッとしながら「おにぎり食べないー」と言った私に今度は、

「なんにも持たせるものないね…冷凍の野菜は?」と冷凍庫を開ける母。

「自分でも買えるから大丈夫だよっ」と答えながら、ちょっと何言ってんのお母さん、せめて庭で育ててるネギ、無いわけ?と、私はいよいよ不機嫌になってこそいた。


今思えば、なのである。

よく、ドラマや映画で、「いやこれ伏線だろ」「死亡フラグすぎて見てられない…!」とか思う展開あるじゃないですか。

どっちかって言うと私、そういうの気づく方なんですよ。

で、「え?なにこの主人公。なんで気づかないわけ?ドンくさすぎだろ」とかなんとか言いながら展開を見守る、結末を見て「ほらな、やっぱり」とやるまでがセット。

でもさ、あれって、
「この後どうなるん?」「このキャラなんで今出てきたんだろ」「この人なんかやらかしそう」なんて思いながら観てるから気づくわけで。

「何かあるぞ何かあるぞ」なんて毎日思いながら生きてなんかいないから、
まさか自分の人生が映画みたいなドラマチック展開するなんて思ってないから、

「なんか変だな?」と思っても、
「かかりつけに診てもらったし薬ももらって大丈夫だよ」と母が言えば、
そうなんだ、早く良くなるといいね、で済ませてしまうのである。

あの日の私も、引き留める母に違和感を感じつつも、

「え、でも明日仕事だし。そろそろ帰るよ」

と言って帰ってしまった。



お母さんごめん。

あの時さ、ほんとはお母さん、自分でも何かいつもと違うなって思ってたんじゃないのかな。
私いつもは気づかなくても良いことまで気づくのに、あの時に限ってスルーしてごめん。
お母さんほんとはビビりだし、もしかして一緒にビビって欲しかったのかなあ。
そんで、「なんかいつもと違うよ、大きい病院行くよ!」て連れてってたら、今頃違ったのかな。



なんて、いまだにぐるぐる考える。

それは母を一番近くで見ていた父も同じで、
「自分がもっとはやく気づいていれば」
「思い返せばあの時も、なんか変だなと思った」
って、謎解きの辻褄合わせのように、いまだに言う。

でも今、こうして文字にして書けたのは、少しだけ自分の中でこの思いから離れることができたからなのかなあ。

母の死から、悲しみや後悔、喪失感、怒り、寂しさとか、いろいろな感情が心の中で生まれては消えていったけど、(いやうそいまだに消えないよ)

今までずーっと、自分の人生は、数多ある中の平凡な1つっていう気がしていて、

なのに、

そんな自分の人生にも思いがけない時に思いがけないことが、それこそドラマみたいに起こって、

それってほんとに、想定通りなんていかないもんなんだ

って、

今は思う。

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