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「自分に夢中」であることが「世界貢献」

自分の好きというトキメキ
ここに眠る宝物のヤバさに気付いた話。

""こころが動く""
そこに、私にとっても世界にとっても
素晴らしい「貢献」があるということ。

自分の好きだけに夢中になればいい。
トキメキを感じる、悦びを感じる、
そこに全集中すればいい。

人の意識は、
もともとは一つなのに
なぜ個人としてバラバラになり
地球にやってきているのか。

いろんな視点から楽しむためだった。

だから
悦びを感じるポイントも
好きや嫌いもちがう。


「人のため」に何かをすることは
確かに素晴らしいことかもしれない。
けれど、ハナから自分を置き去りにして
「人のため」に自分を変えてしまうことは

意識の視点からみると
「内側(私)」ではなく「外側」を向いていて
まったくもって、自分を満たしてはくれない。

それが「自己犠牲」であり
こんなにやってるのに!という不満に繋がる。
厳しいことを言うなれば
これは、テイカーで深い部分で「貢献」ではない。


今日大好きな方とお話していてね、
「ずっと、人を輝かせたい、
 この人の才能や能力を輝かせたい
 っていう願望がなぜかあるの。
 それが私にとっての悦びを感じること。」
だと言うことをお話してくださって。

ほんとうに心から
そこに悦びを感じているんだって感動したの。


私はそう思ったことは、正直ない。

幼少期の頃から
歌手になりたい、
モデルになりたい、
芸能人になりたい、

って、全部自分が見られること
が、願望としてあったのね。
( めちゃくちゃ私!でウケる。笑 )


ファッションが好きだとずっと思ってたし
もちろんファッションが好きなんだけど
もうちょっと深い視点からみると
「ひとつの世界を創るのが好き」

その悦びポイントが派生して
「ファッションが好き」
「空間デザインが好き」
「ファッションショーやりたい」
「歌をつくりたい」
「人をスタイリングするのが好き」
「プロデュースするのが好き」
が、私の願望(悦び)を叶えるツールになっていた。

だから
LIVE映像やファッションショーを見ると
死ぬほどトキメクということに気づいたんです。


そして、私の判断基準はいつも
「それを選ぶことで
 私が可愛くあれるかどうか」

自分を良く魅せることにこだわりが強いタイプ。
要するに、""自己プロデュース力"" が高い。


だからこそ、
""人をプロデュースすることもできる""
そして私の悦びポイントは
「ひとつの世界を創る(クリエイト)こと」

実際に世界観を創るのが苦手な人は沢山いる。
そんな人たちにとって、
私のやってきたことは「貢献」となる。 

しかもね、
誰もが ""まずは自分が輝く。""

そのキラキラと存在する姿こそが
人の心に、トキメキを与える。
心を動かし望みを呼び覚ますキッカケになること
夢の種を見つけるお手伝いをしているも同然だ。

( 実際に、
 倖田來未さんやDiorやELIE SAABのショーは
 私に、イマジネーションという
 トキメキをたくさんたくさん与えてくれる )

要するに、「貢献」とは「結果」だった。


「人を輝かせたい」という願望も
「私が輝きたい」という願望も
視点を変えれば同じだということ。

人を輝かせるには
自分の輝き方を知っていなきゃいけない。
自分を輝かせるには
他人の輝きを知ることで
自分の輝きというコントラストを知る必要がある。

自分の悦びを追求して
自分の悦びに夢中になった結果が
そうである。ただそれだけだった。


HAPPY理論を知ってる人はわかりやすい
「HAPPYちゃん」と「アイキン」
人を輝かせることに悦びを感じるHAPPYちゃん
自分がスターであることに悦びを感じるアイキン

全く真逆なふたりだけど、
ふたりがそれぞれの悦びを極めて夢中になった結果
ご存知の通り、沢山の人へ希望を与えている。


私のように、
圧倒的に自分にしか興味がない人。笑
人のためにやらなきゃって焦らなくていい。
人のためにと思えない自分を責めなくていい。

自分を極めた先が「貢献」
結果的に、人のためになるということ。

悦びポイントが違う、ただそれだけだった。
だから自己犠牲をしようなんて思わなくてよかった。

実際にね、アパレルやブライダルでの
対面接客というお仕事が好きで
9時間休憩なしで接客しつづけても
いつも誰よりも元気で驚かれていた。笑

顧客様にも、
退職するときに泣いてくれたり
わざわざお花を持ってきてくださったり
クレーマーが顧客になったりもした。

でもね、
接客というお仕事をする上で
「人のため」という意識になったことがない。

私が誰よりも常にこの場を楽しんでいるし
私が誰よりもこの場を楽しみたい!って。
何故なら、つまらない時間を過ごしたくない。

その意識が生み出すのは
「じゃあこの場を楽しむためにどうするか」
「この人と一緒に楽しむためにはどうするか」

楽しませてほしいなんて思ったことがない
楽しませてくれないあなたが悪いなんて思ったことがない

だから常にエネルギッシュで
誰よりも元気なのに誰よりも喋って動いてた。
それが「人のため」にもなっていた。

そりゃあ、そうだよね。
いつ会ってもゴキゲンなんだもん。
そりゃあ、会いたくもなるよね。

そして洋服を選ぶプロだよ。
一緒に選んでて楽しいんだから
どんどん「あれも着てみたい!」って
望みにワクワクして楽しくなるよね。


内観をして、自分だけを見つめるとわかる。
自分を知り、自分へ慈悲慈愛の心をもつようになると
他人への慈悲慈愛を心から感じられるようになる。

言葉だけの愛を語るのではなく
心からの愛を語れるようになると
ほんとうに満ちていくの。

私が。そして周りが。世界が。

私はここをもっと極めたい。
究極の自己中は究極の世界貢献だ。


道徳的な「人のため」に縛られていたこと
ただ、悦びを感じるポイントが違うだけだった
そんなもっとフラットな軽さに
気付けたことが嬉しい。

もっともっと自分の願望に忠実に
欲深く追求していこうって許可がおりた🦁

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