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あの人とは合うのか、合わないのか


視野がせまかったり、自分が正しいとか自分の見方が絶対だと思いこんでいた時期がながかったこともあり、だいぶ人とのお付き合いに苦労していた人で。いまもそこそこ、ジャッジして人を合う合わないかのふるいにかけている。

そもそも自分に厳しくて、自分のことをこまかくジャッジしていると目の前にいる相手も同じように扱ってしまう。

さらに、結婚してるとちゃんとしてるとか、お勤めで良い会社にいってるとちゃんとしてるとか、パートナーが清潔感があって優しそうだといい夫婦だとか、子育てしてるとえらいとか、会社経営して稼いでるとすばらしいとか、何があってもニコニコしている人は女神だとか etc., 何かと基準をもうけて優劣をつけていたりすると、そうでない人をかんたんに切り捨てる。そうした自分の中に確立した社会通念のようなものさしを相手にそえて、ジャッジする。

仕上げに、相手の”対わたし”への態度全般を細かくチェックするから困ったもんだ。

わたしの言いたいことを理解してくれるかどうか。わたしとの会話をわたしが想定した範囲内のここちよい受け答えをしてくれるか or その想定を上回るような快適なやり取りをしてくれるかどうか。わたしが想定した範囲内の行動をしてくれるかどうか。わたしを不愉快にするようなことを言わない人かどうか。わたしの価値観を理解してくれるかどうか。わたしの愛を受け取ってくれるかどうか。

わたしわたしわたしわたし。。。こうした自分中心な偏狭なジャッジメントの上に、相手が自分と合うとか合わないとかってやってるわけである。自分のことは棚にあげて。

合わないかどうかの前に、わたしがどこまで自分をオープンにして、”わたし”という人の在り方を相手に伝えているのか。わたしがどれだけ色眼鏡をはずして相手と接しているのか。どんだけ柔軟にありとあらゆる可能性をもって相手の言葉や態度を受け止めているかのほうが、本当は問われているんだろうと思う。わたしがどれだけ多くの価値観を受容し、相手の立場にたち、自分を表現できているのか、あきらめないで対話をつづけられているのか、そうしたところをよくよく観察するのが先だろうとおもう。

合う人が少ないとかあの人とは合うとか合わないとか言う前に、まず自分のあり方をよく観察したほうがいい。がんばれ自分。


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