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思い込みをはずす はなし③子育て

こんにちわ。

自分観察探求家のようこです!

今日は子育て編 思い込みがはずれる出来事がつづき、最後には自分の使命に気づいてしまったという、多田 啓二さんこと『ただっち』のお話。


それは今からさかのぼること、7年前。

ただっちは、奥様と1歳、4歳、6歳の子供がいるなか、奥様が育児と家事に専念しているそんな家庭を支えていた。

当時はバリバリの仕事人間で、正社員の仕事もある上に、それ以外にも3個くらい仕事をかけもち。そのうちの一つに神田昌典さんの次世代マーケティング実践会の広報という仕事もしていた。

そんなただっちは、起業に興味があり、未来への投資という意味でも仕事をがんばっていた。


そんなある日、6歳の息子さんがパニックを起こし、病院に連れて行ったところ、自閉症スペクトラムと診断される。

それとそのころから息子さんは、お母さんから離れることができず、四六時中お母さんにびったりくっついて回る日々になった。そんな状態が長引き、とうとうお母さんはノックアウト。

治療が必要な膀胱炎になった。

その時はじめてただっちは1週間仕事を休んで、家事や育児に専念することになった。そして、そこではじめて家事・育児がめちゃくちゃ大変で超過酷なことだということをこころの底から知ることになった。

それまでのただっちは、家事や育児は奥さんに任せっきり、土日もなく働きづめで、夕飯の時1時間だけ家にいて、それ以降また仕事を始める、そんな生活を送っていた。

奥様の苦労を知り愕然としていたただっちに、奥様は一言。

「起業とかそういうのもいいけど、子育てから学べることもあるんじゃないの?」

と。

そう、頭ではわかっていても、

ただっちには、趣味と仕事に打ち込んでいた父親を見て育ち、男は家のことを気にかけている暇があったら外で働くべきだという価値観ががつんと入っていた。なかなか受け入れられなかった。

正社員の仕事はそのままに、掛け持ちしていたほかの仕事を断ろうとおもっても、なかなか断れずにいた。

仕事のやりがいもあったが、なにより弱い男と思われるのが怖かった


なかなか言い出せずにいたやめるということ。

ある日勇気を出して伝えてみたところ、意外とみんな受け入れてくれ、そういうことならもちろん家族を大事にしてくださいよっていう反応が返ってきた。恐れていたようなことは何もなかったのだ。それは、ただっちの思い込みだった。


それから、家族との時間が増えた。

子育てにも関わるようになり、気づいたことがあった。

それは、自分が今まで自分の価値観や基準を押し付け、子供を苦しめていたということ。

ありのままの息子を受け入れようと意識しはじめたころ、パニックを起こしてから全く話せなくなっていた(話せてもあー、うーだった)息子さんが、突然話し出すという事がおこった。

その言葉は「はやくー はやくー」 「はやくー はやくー」だった。

その言葉に「早く何かして欲しかったんだね」

と、息子のありのままを受け入れるように伝えたら

「うん(声なし)」

と頷き、そしてまた認めるという事を繰り返しているうちに、少しずつ話し始め、なんと2年近く母親のそばから片時も離れることのできなかった息子さんとゲーム「ポケモンGO」をしに、ただったちと二人で歩いて出かけられるようになったという。


それからも、<ありのままのその子を認める>という姿勢で関わっているうちに、子供たちを認めてあげると才能が伸びることも発見した。


それから3年くらいたった時、ただっちに転機が訪れる。


今まで勤めていた会社に違和感が募り、会社にいこうとすると体が動かなくなった

務めていた会社では社員の意見や自主性は軽視され、社長のトップダウン、100%指示命令に従う形で仕事が回っていた。長年我慢してやってきたが、もう耐えられなくなってしまったのだ。

子供に対しては人はだれしもがそのままで良く、安心安全な環境を創ってありのままでいることで才能が伸びるということが体験を通して知るようになっていたこと。

また、もう一つ、長年関わっていた社団法人夢新聞の研修に、指示がない方が各自が主体的に役割を見つけその人に適したポジションで働くようになり、結果的に良い組織ができるという「指示ゼロ」というプログラムがあり、そのことを体験的に知っていたこと。

そうした体験と会社の方針が大きく乖離していた。

ただっちは、もはや完全に合わなくなってしまった会社を退職。

人生初の主夫になる。


会社をやめてすこし時間に余裕ができたただっち。

「自分は本当は何がしたかったんだっけ?」という問いに立ち返ることになった。

自分が家にいたら、奥さんが才能を開花するんじゃないかと漠然と思っていたら、

今まで家に縛られたいた奥様が仕事をはじめ、趣味のアクセサリー作りを楽しむようになり、ただっちさんがそのアクセサリーを世に出すために奥様のプロデュースをするという展開があったり。

その後も、知り合いから集客の相談を受け、ホームページやランディングページを作ることになったり。また別のビジネスパーソンからは、営業担当になってくれないか?というオファーがくるなど。


そんな流れから、自分は集客で人の役に立てるんじゃないかと思っていたころ、自分を見つめ本当は何がしたいのかを見つめなおしたくて、イラスト思考講座という3か月の講座を受けることにした。これが2021年6月。

その中で、これまで自分が生きてきた軌跡を眺めていたら、こどものころ父親に「お前は営業が向いてるから営業マンになれ」だとか、「将来は父さんの営業の手伝いをしてくれ」と言われていたことを思い出した。


そう、ただっちさんはお父さんの営業の手伝いをするのが夢だった。そのことに気づいたのであった。


そして、自分の今までやってきた営業という仕事、マーケティングの知識が自分が得意で活かせることなんだと確信。営業のサポートをする仕事を開始した。


こんな風にたくさんの強い思い込みから自由になり、「〜ねばならない」という制約をはずし本来の自分に戻っていくと、自分が本当にやりたかったことに気づいたり、これまで点だった体験や経験がつながって全部必要なことだったと思えるような使命を知るに至ることがある。


ただっちの例は、その典型だ。


迷いがない、そんなエネルギーを感じた。


ただっちをそんなふうに導いてくれた、ありのままのご家族の写真を最後に♡↓

ただっちさん家族写真多様性

(^^)☆彡








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