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大人はもっと泣いたほうがいい

人前では泣けなくて泣いていいような気がしなくてつい我慢して抑えこんでしまうから、これも解放したいことの一つだったりする。

とはいえ、一人でいるときはおりにふれ泣くようにしている。泣いたほうがいいいと思ってる。人前では泣けない。泣いたらダメ。泣いたら卑怯とか。泣いたら許されると思うな!泣くな!って言われて育った。そうそう、そうだった。

大人になった今は、思いっきり泣くから思いっきりうれしがれるし、思いっきり笑えるってわかる。子供はそうしている。とても理にかなった生き方だ。わたしもかつてはそうしていたはずなのに、そんな自分を我慢をしていくうちに、いつしか、おもいきり泣く顔もめいっぱい喜ぶ顔も消えた。特によろこびもしなければ、泣きもしない。ときどき、笑い話に笑うくらい。

そう、つまり泣くことと喜ぶことはセットだ。セット販売。陰と陽、夜と朝、闇と光、ネガティブとポジティブ、どちらもなくてはならないもので、この相反するものが常に循環している。美しく完璧なサイクル。これがくずれるとおかしなことになる。

我慢ばかりしているのにその分しっかり泣いてないと、うれしいときにも笑えない。ひきつって、笑顔を作るしかなくなる。ひきつった笑顔の人をよくみかける。どこかから借りてきたような表情。今ほんとうはめっちゃ怒りがたまっているのに、それが仕事だからとかそれが人と接するときの礼儀だからと、自分の感情にはふたをしてなんでもないふりをする。それが「社会的」であるかのようで、まるで大人であることのようだ。少なくとも日本の社会ではそうであろう。

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話はもどって、そんなわけで我慢してきた分をときどき怒りとして発散するのも良い。怒りのエネルギーによって陰に傾ける。だれかに向かって怒りをぶつけるのでも、1人の時に怒るのもありなのだが、前者はすこし長期戦になるかもしれない。「思い切り怒る、思い切り泣く」をする。子供が泣き叫ぶようにはげしく泣く。自分の思い通りにならないってことは、本来そのくらい感情がゆさぶられ、悲しいことだから。

ただ、注意してほしいのは、泣きたければ泣く、泣いたほうがいい&我慢はよくないという話ではない。例えば、無気力でなにもやる気がしないというのも、泣くための絶好の機会だし、たのしいことが起こる気がしないとかなかなか気分が持ち返さなかったり、アンニュイな気持ちの時もそうだ。きちんと感情を感じて解放してすっきりしていないから、心がぐずついているのだ。

コツは、どうしたの?なにが不満なの?って聞いてあげること。だって〜なんだもん!と言って、顔を今にも泣きそうな顔にくずして息を荒げていく。さらに「お母さん、あのね、わたしね、〜なんだよ〜。」って言う。こどもになったみたいで私のお気に入り。そうやって言ってるとしまっていた感情がわき出てくる。

そんなふうに対話しながら聞いてあげて、泣き尽くすとスッキリする。あたたかい気持ちになれるし、自分のことをすべて受け止めてあげた感じがしておちつくのだ。もし楽しいことなんて何もないっていう人がいたら、まず涙枯れるまで泣くのもいいよ。やりきってすっきりしたら、たのしいことしか考えられなくなるから。



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